見えにくいでが松本城です
今は当たり前になった大学入試のインターネット出願が始まったのは、2008年頃からだったと記憶しています。
インターネット出願にすれば「PCスキルとネット環境」を持っている生徒さんが出願してきます。というわけで、入学後は「レポートはワード作成・メールで提出」と指示すればOK。
インターネット出願にすることで、スキルを持った人材を獲得することが可能になるという発想。これは就職も同じ。転職も同じ。官公庁の公募人材もネットで募集です。
しかしこの発想、15年前は結構もめました。
反対派の根拠は「公平性に欠ける」です。
PCは難しいという人、ネットに慣れていない人が出願できないのは公平性に欠けるというのです。いやいや、そういう人が大学に進む、企業で働くということでいいのですか? 官公庁の公募人材として採用(民間校長とか、副知事とか)していいのですか?
とお伝えしても、頑なに反対なんですね。
新人研修で何かしゃべれと言われると、こんなことを伝えていました。
近代社会を表現する言葉に「自由・平等・博愛」があります。
自由は、能力の高い人にとっては天国ですが、そうでない人にとっては地獄です。
平等は、能力の高い人にとっては地獄ですが、そうでない人にとっては天国です。
公務員は市民に対して公平に接しろ、しかし自分だけは特別に扱えという人に博愛をどのように実践するか考えてみてください。
高校1年生レベルの倫理の問題ですけど、「公務員」という立場でこの問題を考え直してみようということです。
たとえば、「若い人、優秀な人ほど地元を出てしまう、戻ってこない」という地方の課題があります。ネガティブな仮説としては「平等という価値観が人々の幸福を阻害している可能性」があります。なぜそうなるのかを考えてもらうと、「平等という価値観を正しく理解できていない」「自分に都合よく解釈して議論を封じている」「自由・平等・公平という言葉を振りかざして自己の意見を正当化しようとするのはクレーマーではないか」とか出てきます。
ここから、世の中から地獄をなくすにはどうすればよいかというワークになります。
組織を離れ、無職・フリーランスとなって経済的な不安を抱えつつ節約生活を送っている私は、世間的には地獄にいるのかもしれません。でも、個人的には天国と感じることも増えてきた今日この頃です。