公務員は「公平・公正」が大切です。
ただし、この概念が問題を産んだり、解決を阻むことがあります。
学問も「過去の研究、論文」を探すところからスタートすることが多いです。
法律・裁判では「過去の判例」が重視されます。
要するに「整合性」が求められているんですね。
「前例踏襲」は、ある意味で「公平性」の維持になっているのです。
しかし、科学が進歩し、短い期間で価値観が大きく変化する時代になりました。
ルールは「絶対的なもの」ではなく、「相対的な運用」が求められます。
そんな時、「個人・平等・人権・自由」などの「大きな概念」によって、問題の解決が進まなくなる時があります。
たとえば、災害時の避難所。
200名の避難者に対して、120名分の夕食が届いた。
この時、最も大きな声になるのは「不公平だから、200名分届くまで、配布を待つべき」という意見です。
個人情報保護法は、とても大切なルールです。しかし、「個人の概念」が「被害者の人権を阻害する」という現実もあります。一方で、「人権の概念の悪用」も存在します。
倫理学に「最高善」という発想があります。
「公平・公正・個人・人権…」などの概念が解決を阻害する場面で、「では、みんなにとって一番良いこと、人ととしてあるべき理想ってなんだろうね」と問いかけるようにしていました。私のワークショップの秘伝です(笑)。
一つ言えるのは、「最高善」という概念は、発想の根拠を「未来」に変えます。
平等・公平は、整合性などを含みますので、思考の根拠が「過去」になります。
もちろん、これですべて解決するわけではありません。
個人・公平・過去にこだわって怒り出す人もいます。それは仕方がないことです。
新型コロナ、オリンピックなどの課題が、日本社会の「古い価値観の弊害」をあぶりだしています。
私が早期退職を考え始めた理由の一つは、「弊害としてあぶり出される前に、自ら身を引こう」でした。「ボロボロになるまで現役」という美学に惑わされず決断しました。
現代社会を見ると、身を引いてよかったと思います(笑)。