55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

早期退職4年目の終わりの心境その3(罪悪感を手放す)

 

 それなりの準備と心構えをして早期退職したのですが、いざ仕事を辞めてみると落ち着かない気持ちになることが多かったです。

 2月に大型船の中でコロナが広がり、3月にはマスクをする人が増え、3月末に早期退職するとその翌週には自粛期間に入りました。オリンピックも延期。そんな中私は失業給付金をもらいながら自宅でのうのうとしているわけで、その時の心境は複雑。こういう時に退職した幸運と、苦労している昔の同僚に申し訳ない気持ちとが同居します。

 早期退職しようと考えて準備を進めてはいましたが、50歳を過ぎて公務員から民間に転職した時、「60歳まで働くという人生デザインの更新」もできればという考えがありました。しかし、それは計画倒れに終わったわけで、そうなると「定年まで働けなかった脱落者」というネガティブな気持ちが強くなります。さらに長野県松本市への移住を果たすと、東日本大震災の復興から目を背けて逃げたという思いも浮かびます。

 現役時代は、少子高齢化社会の課題解決に取り組んできましたが、気が付けば私自身が「高齢者=課題」になっています。高齢者を軽んじたことも不利になるような解決策を作ったこともないですが、巨大ブーメランが返ってきたようで落ち込みます。

 現役時代、お仕事や研究を通じてそれなりに身に付けてきたスキルもあるのですが、早期退職するとさび付いてしまうことも怖かったです。新型コロナの出現によって社会システムは大きく変化し、未来に向かっての更新が進みました。それに取り残されるという恐怖です。

 

 で、4年目の終わりを迎え、上に記したネガティブな心境を受け容れ手放すという心境まできました。

 公務員時代「自分が幸せになることに罪悪感」を抱くようになりした。「公務員の不幸が市民の幸福」と自分に言い聞かせて(あるいはいろんな人に言われ)自己犠牲に励んだ時期もあります。どう考えてもあなたの過失と思われることでも、私は公務員だから公務員である私の過失と思って対応していました。そういう価値観に支配されていたんですね。自分を「減点法で評価」していたのです。

 しかし、松本に移住して信州の自然に触れる日常を送っているうち、減点法の意味のなさを再認識しました。そもそも自然は厳しいもの、夏は暑いもの、冬は寒いものです。でもそれが四季の変化の豊かさであり、桜の美しさであり、紅葉が心に染みる理由なんですね。そうなると早期退職×松本生活でも、東北の復興を支えること、仕事のスキルを保つこと、新たな学びを得ること、昔の同僚の愚痴につきあうことは可能であることに気づけました。

 

 自分で自分のご機嫌を取り、自分の幸福実現を目指すことの方が社会的にもよいですよね。機嫌が悪く、私は不幸なんだと言い続け、幸福になるのはいけないことなんだと思い込んでいる高齢者は、どう考えても社会を悪い方向に導きます。その負のエネルギーはブラックホールとなって周囲の人も不幸にするでしょう。

 

 ではどうやって幸福になるかですが、現役時代はやはりお仕事・業務で社会課題を解決し、市民が幸福になることが(おこがましいですが)自分の幸福でした。

 でも、お仕事から離れた今、社会課題の解決に関わることはできません。原稿書きのお仕事をしていますが、それによって誰かが幸福になる瞬間を共有することはできません、在宅ワークですからね。

 というわけで、お仕事的なもので社会にコミットするのは無理。

 であれば、もっと自分の世界を充実させればよい。

 本を読む、音楽を聴く、旅に出る、食べ歩きをする…です。

 

 早期退職5年目は、好きなことを満足するまでと思います。

 そのことに罪悪感は不要。早期退職しても公的な支援や減免を受けることなく、所得税まで納めて国民の義務は果たしています。来月から始まる納税も、予想金額分は稼いで貯めています。

 というわけで、罪悪感を手放します。

 来週、本と仕事とを持って旅に出ようとも思います。

 早期退職5周年記念の貧乏旅行、さてどこに行こうか…。