価値観をアップデートするにはどうすればよいか…ということを考え始めたということは、自分のアップデートが止まったということ。
私の場合、読書がアップデートになっていたようです。習慣になったのはたぶん小学校高学年頃で、「本を読まないと眠れない」「買った本はその日のうちに読了する」という自覚がありました。
作家で言えば遠藤周作、吉村昭、北杜夫、辻邦夫、三島由紀夫、南木佳士、ジャンルで言えば歴史小説が好み。古典文学だと平家物語を「漫画~現代語訳~原文」と読み進めたりもしました。そしていきついた問いは「近代とは何か」で、そこから江藤淳などの評論に進んだのが10~20代です。
本屋に行くたびに「この本を全部読めたらどんなに幸福だろう」と思い、書店経営か編集者という夢もありましたが、それは叶わず。ただ、社会人になると給与のうち「月2万円を書籍購入費」にあてました。会社からは「年20万円を上限」に書籍購入費が出ました(福利厚生ですね。公務員に転職してなくなりましたけど)。
値段を気にせず本を買えたわけで、この時は幸福でした。
読書量が落ちてきたのは40歳頃からですね…。
単なる言い訳ですが、業務の多忙が進み本を読まなくても眠れるようになりました…。またこの時期は、業務と個人的興味の接点で「組織論・学習理論系」のテキストを読むことを優先していました。小説から遠ざかったのです。
そして、小説は「お盆休み」「年末年始」に温泉にこもって集中的に読むという暮らしになりました。そうなると年間通じての読書量は減ります。
読書は何のためにとか、効果や意味があるのか…という議論は昔からあります。
私は読書に意味や効果を求めてはいないです。好きなだけ。ただ、読書量が減ると感性が鈍りますね。理論書・評論・論文などを読むことで「知識・思考」はアップデートできますが「感性・感覚」はついてきません。感性・感覚は「小説」でアップデートできるというのが個人の感想です。
40歳以降、どんなに多忙でも限界でも、もっと本を読んでおけば…と思います。
などと思ったのは、先ほど読み終えた小説から。
「傲慢と善良(辻村深月)」です。
感想としては個々様々だと思いますが、この年になって読むと「再生」という論点になります。また、この作品には、日本の近代小説がテーマとしてきた近代的自我などへの回答も示されていると感じました(個人の感想です)。
そんなこんなで、私の中で止まっている時間が動き出したような感覚があります。
今日は、また別の本に取り掛かります。
旅行辞めたので…久しぶりにカフェでとも思う今日この頃です。