高校2年生との会話(学習支援ボランティア)で思い出したこと。
課題発見は、「二項対立」で整理する・論点を明確にするのが一つの方法です。
課題解決で、「二項対立」のどちらかを多数決で選択するのは、あまりよい手段ではないと考えた方がよいです。「正解がない」とはそういうこと。
二項対立から、アウフヘーベンして弁証法的な解決を考えるという思考習慣を身に付けた方がよいでしょう。その時、「最適解」というものが生まれるという発想。
ただ、私もそうですが、「民主主義的多数決で決めましょう」という手段・発想が一般的なわけで、なかなか難しいです。ディベート的な論破も、「AかBか」という発想の中で行われるわけで、あまり建設的とはいえません。
誤解を恐れず言えば、議論のゴールが「賛成か・反対か」ではなく、その出発点が「どうすればよいか」になれば、なんですね。ただ、原案に対する「賛否」は個人的にあると思います。そこで求められるのは、「賛否という二項対立から課題を明確にすること」と、「意見・立場の異なる人と協働しながら解決を導くこと」になります。
意見・立場の異なる人と協働して解決を目指す時、必要なのは「自己利益を根拠としないこと」です。いわゆる「利益誘導」ですね。これがあると、「俯瞰的な考察・最適解・弱者への配慮」が失われます。これが「課題解決の場における倫理」と言えるでしょう。逆にいえば、「恣意的な利益誘導をしようとする人」が課題解決の場にいると、「偏った支援によって弱者にしわ寄せがいく社会」になります。
恣意的な利益誘導を正当化する根拠として、「資本主義・自己責任・競争原理」を持ち出してほしくないのですが、こういう時だけ「俯瞰的な視点」が提示されます。これに反論することは可能ですが、それは「解決すべきテーマ・論点から離れた議論」に進みがちなわけで、しかも「新たな課題」を生むことも多く、なかなか難儀します。
こういう時、「ロビー活動・根回し」という必殺の伝統技を発動することになりますが、「根回し=意見が異なる人との合意形成」は、「AかBかの範囲内」で留まることが多いです。つまり、「対処療法」に近いわけで、課題の本質を根拠とした根本的な解決にはなりにくい…というのが個人的感想です。
というワークをやりました。
要するに「多数決は有効か?」です。
この問いで、先入観の存在に気づき、有効性と欠点との両方に気づき、「では、どうすればよいか」を導きます。このワーク、最初に作ったのはもう10年以上になります。
ええと、作った当時はとても不評で、「多数決は有効か」という言葉を見ただけで怒り出す人も少なくありませんでした。それは、ベテランだけでなく、新人・若手にも多かったです。
しかし、今は高校生が面白がって取り組んでくれます。
「AかBか」ではなく、「CやDはないか」を求めているんですね。
これなら、PISAの結果もよくなるでしょうという、今日は少し前向きな話題。
これから、明日締め切りの原稿の見直し・確認をして、できれば今日中に提出します。