お仕事の関係で、議員さんとのお付き合いもありました。
もちろん、仕事上で、念のため。
となると「選挙」で誰に投票するか…については、いろいろ思うことがありました。
◆前提となる、そして結論でもある考え方
公務員と議員との共通のお仕事。
それは、社会課題の解決。
そして、資源の再分配の決定。
このセンスのある議員・政党に投票していました。ですから、いわゆる「支持政党」はありません(笑)。転勤が多かったことでわかりましたが、同じ政党でも、都道府県単位、個人単位でみれば、それなりに考え方も取り組み方も違います。
ですから、与党に入れたことも野党に入れたこともあります。
◆社会課題を、自己責任にすり替える人には入れない
教育・医療・福祉で例えた時、
勉強できないヤツが悪い、病気になるヤツが悪い、生活保護を貰わないと生活できないヤツが悪い…という人には、入れませんでした。
立場上、現場・議会などでご本人から発言を直接うかがうこともありましたので、価値観が見えてきて、さて、次の選挙はどうしようと思うことが多かったです。
◆「公共」の意識がない人に、国民と税金とを預けてはいけない
近代以前の社会、封建的価値観の時代にも、格差やいじめ、ハラスメントはありました。しかし、封建的価値観では、格差は「あって当たり前」、身分・年齢が上の者が下の者をいじめるのも「当たり前」なんですね。
逆説的に言えば、封建的社会には「格差もいじめもない」と言えます。価値観として「公認」されているわけですから。
格差・いじめ・ハラスメントが「いけないこと」になったのは、近代になってから。
つまり、「自由・公平・正義という価値観」が生まれたからですね。
しかし、「いけないこと」が「なくならない」から「社会課題」なわけです。
その「社会課題」を「個人の問題・自己責任」とするセンスの人は、政治家には向きません。私たちの命や生活を預けることはできません(個人の感想です)。
「貧乏なヤツは努力が足りない」「いじられるヤツにも原因がある」「お金がないなら大学に行くな」という人に、日本の未来を預けることができますか(笑)
◆社会課題を自己責任とする発想は…悲しいけれど票になりやすい
わかりやすいんですね。
・治安が悪い⇒警察が悪い 病気が治らない⇒医者が悪い 若者が悪い⇒先生が悪い
・格差や貧困で苦しんでいる人がいる・税金が高い⇒公務員が悪い
という簡単な図式ですね。
この図式を否定するつもりはありません。ただ、別の視点から見てほしいのです。
それは「俯瞰的な視点」=「歴史と科学の教養から、社会課題を理解する」ってことですね。こういうセンスのある議員さんは、課題解決を真剣に考え、そのために税金を配分します。
こういうセンスのない、何でも自己責任とする方は、残念ですが「利益誘導」に走ります。それは、税金の再配分ではありません。正義も公平もありません。
で、何をするかと言うと、公共の仕事を「民間」に卸します。そのために、公務員や公共サービスを減らします。この発想は票になるみたいです。そのため裏で行われている「利益誘導」が見えにくいです。
このブログでも何度か言っていますが、そもそも「公共サービス」ってのは、民間ではビジネスにならないから、儲からないから、利益がないから、でも人が文化的で健康的な生活をするために必要だから、みんなで少しずつ負担(税金ですね)して維持するものなんです。だから、民営化することは「低賃金労働」を増やすだけなんです。
議員という職業を「ビジネス化」したという意味では、優秀な人なのでしょう。
悪者を設定して票を集める。
公共サービスを民営化することで、利益誘導する。
そういう才能を、国民のために使ってほしいと、ため息をつく今日この頃です。
