55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

責任を追及しても問題解決にはならないということ

 

 どこかの知事さんが、「不登校は親の責任」「フリースクールは国の根幹を…」という発言をされたそうです。これに対し、「あるまじき発言」などの反論があって、フリースクール関係者は抗議文を出したとか…。

 ネット上の記事を見ると「知事批判」という文脈と読み取れます。「知事の発言で傷ついている人がいる」という趣旨ですね。そのとおりではあるんですけどね…。

 

 でも、世間一般的な認識・多数決の過半数を占めるのは、「知事の発言のとおり」ではないでしょうかね…。そもそも「不登校は誰が悪いわけでもない」はずなんですけどね(いじめなどの例外を除きます)。

 ただ、誰が悪いわけでもないのに、「責任を問う=悪者探し=自己正当化」を求めるという価値観・思考の流れがあって、これが解決を遠ざけます。つまり、「保護者は学校のせいにする」「学校は家庭に要因があるのではという」「祖父母と夫は母を責める」。そこに当事者である「子供の気持ちを汲み取ろうとする人」は不在です。でも責任だけは明らかにされる。ただし、この責任の追及は不登校の解決にはつながらないという…壮絶な悪循環です。

 でも、これが不登校に関する「一般論」ではないでしょうか。

 

 ちなみにですが、義務教育期間(小学校・中学校)は、一日も学校に行かなくても進級・卒業ができます。日本の義務教育に「留年」というルールはないんです(昔は、大きな病気をして一年遅れたということもありましたが)。高校は「義務教育」ではないので、大学と同じように「出席・単位・学費」の規定を満たさないと進級・卒業ができません。

 このことを知らないで、「高校で不登校になっても、進級・卒業できるはず」と思い込んでいる方は多いです。で、学校に行くのがしんどくなったら、「出席」の規定が全日制と異なる「通信制」だと少し楽です。と言っても、「単位と学費」は必要。

 それでも…の場合は「高卒認定試験」になります。受験料と成績ですね。

 

 全日制の高校で、不登校生徒の「保健室・図書館などで勉強した時間」「自宅で指定された課題」などを「出席時数・単位として認める」を模索したことがあります。

 もちろん、「課題は出せば単位認定」ではありません。その課題を評価し「合格レベルと認められた場合に認定する」です。変な話ですが、教室で授業を受ければ出席・単位は認定されます。授業中爆睡していても(笑)。教室以外の場所で課題をやる方がハードルは高い部分もあります。これは出席も同じ。図書館で6時間孤独に自習って結構大変です。

 でも、「教室・授業以外でやったことを出席・単位として認めるのはズルい」が一般論。そのこころは、「このルールを認めると、多くの生徒が授業に出なくなる・学校に来なくなる」ということ。これを「公平ではない」という言葉で正当化するのが、世の中の認識。知事さんの言葉でいうと「国家の根幹を…」ではないでしょうかね。

 

 現在の私は、「会社に行かず自宅で行ったノルマを提出する」ことで収入を得ています。テレワーク・在宅ワークって、「広域通信制の高校」みたいなものですね。ちなみに、大学は「通信と教育とのハイブリッド」です。

 冒頭の知事さんの価値観でいえば「ずるい」わけで、「国家の根幹を揺るがす」ような存在なのかもしれません。でも、そのことで、「学業×仕事」の両立ができます。

 「登校×アルバイト」では時間的・体力的に無理。しわ寄せがいくのは「登校・学業」の方だと思います。

 

 公務員時代は、教育・医療・福祉の部署で「マイノリティー」のサポートを担当してきました。そして、マイノリティーをサポートする施策は、議会で否決されることが多かったです。これが、今の日本の一つの姿なのかもしれません。