教育系部署に所属していた時、タイトルのような電話をいただいたことも多いです。
枕詞って感じでしたね。
◆公務員から民間に戻った時、感じたこと
要するに「公務員が嫌いな人」「学校の先生が嫌いな人」ってのは一定数存在するわけです。それは、特別なことではなく、例えば「アンチ巨人」とか「矢野監督の采配が納得できない」というのと同じレベル。
ただ、「先生が好き」という人はいても、「公務員が好き」という人はいない(笑)
公務員という職業に関しては、「我が子を公務員にさせたい親」「公務員しか仕事がない地域」があって、本人に選択の主体性があまりないことがあります。
ついでに言えば、市町村合併以降、公務員のお仕事に「議会・議員」の介入が大きくなり、本来の役割を果たしにくくなっているという側面もあります。
◆学校の先生を攻撃するのは
「世間知らず」…という表現で先生を攻撃する方は、何と比較しているかですね。
個人的な経験では「先生の世界にはノルマがない・競争がない・世間の厳しさを知らない」という印象があります。これは、公務員に対する個人攻撃と同じ。
公務員から民間に戻った時も、「あんたのやることはぬるい」「主体性がない」とよく言われました。もちろん、こうした具体的な指摘の前後には「公務員だったから」が付きます(笑)。
◆教育・医療・福祉に「競争原理」を持ち込んで良いのか??
国公立大学に現役で何人とか、不登校を出さないとか、ノルマにしてもいいのです。
実際、ノルマにしている地域もあります。
その結果どうなったかというと、逆になりました。進学率が低下し、不登校が増えました。同様に、医療費出費を減らそうとか、福祉予算を削ることを競争にすると、「病院や福祉施設の経営が立ち行かなくなる➡医師や職員の数が減る➡サービスの低下➡健康寿命・平均寿命の低下」につながりました。これはブラックジョークですが、ある意味で「目的を達成した」ということですね。
競争原理を手段として持ち込むことは否定しません。しかし、競争が「目的」=「評価」となると、必ずどこかに「しわよせ」がいきます。公務員のお仕事の場合は、それが「会社内の人事」をこえて、「住民・児童・生徒」にいくってことですね。
しかも政権与党の価値観では、競争社会の勝敗は「自己責任」です。
負けたヤツは、負けたヤツの責任。で、それに納得できない人は、政権与党的価値観の社会システムを「運営」する、公務員・教員にあたるしかない…。
◆新しい時代は「競争原理」から離れた社会構築が必要
競争原理を働かせるためには「格差を大きくする」方がいいんですね。
プロスポーツの世界では「一軍」「二軍」に大きな格差をつけ、「頑張れ」「ここから抜け出せ」「一軍で夢を叶えろ」といいます。それはそれでありでしょう。
しかし、これを「地球単位のシステム」にしていいのでしょうか。
貧富の格差を意図的に大きくする政策を選択し、負けるな! 負けたら自己責任!
競争に勝てないやつは弱いヤツ! とすることで、日本は幸福になりますかね(笑)。
さらに言えば、世界の貧困の半分以上は、現在「アジア」に集中しています。
それは自己責任…と子供たちに教育してよいのでしょうか??
「資本主義×競争社会」ですから、そこには敗者・脱落者が存在します。長い人生には、そんな瞬間もやってきます。しかし、それでもチャンスが与えられるのが「平等」であり、その機会を作るのが、公務員の仕事(福祉・教育)のはずなんですけど。
一生、病気も怪我もしない人っていないと思います。病気・怪我という人生の危機で、人を救うのが「医療」の役目ですしね。そこに「競争」って、どうなのかと感じる今日この頃です。