中央の山の頂付近に、城壁があるのがわかるでしょうか。
この城壁が、「津和野城」の跡。
そして、写真の左手奥に、森鴎外・西周の生家があります。
ちなみに、中央を流れる川の右手に大きな建物がありますが、これが藩校があった場所。森鴎外は、ここで漢文を学びました。ただ、9歳の時、一家で上京し、以降ここに戻ることはなかったそうですが。
森鴎外の作品を読んだのは、高校生の時「舞姫」が最初。
以降、少しはまったことがあって、昔々、ヨーロッパを貧乏旅行した時、舞姫の舞台を歩こうとしてドイツ・ベルリンを訪問しました。しかし、当時はまだベルリンの壁があった時代。作品の舞台はほぼ東側。私の持つビザでは、「東ベルリンには入れるけど、そのあと、西ベルリンに戻れるかどうかはわからない」と言われて諦めました。
地図で見ると、津和野はとても辺鄙な場所にあり、なぜここから森鴎外のようが人が出たのかと感じることもありました。
ただ、津和野は「山陰街道=国道9号線」に存在します。国道9号は京都を起点とし、生野銀山・日本海のカニ・出雲大社・石見銀山を通過しながら山口に到着します。
山口は、ザビエルがキリスト教布教を行った地。
つまり、多様な文化・経済活動が行き交う街道にある町なんですね。
そう考えると、当時の津和野の繁栄が見えてきます。
人口減少・過疎化が進む町には、かつては、文化や経済の発展を導いてくれた「街道」が、今は、若者が都会に流出していまうルートに変容してしまったというパターンがあります。
その街道にバイパスができて、パイバスに全国資本の店舗が並び、ニュータウンができて、旧市街地が縮むパターンも。
でも、不思議なのは、そうやって人口減少・過疎化が進む町は、なぜかとても美しいんですね。古い街並みと自然との調和、川と山と里山の計算された街づくりはとても美しい。
そんな風景を、これからも見に行こうと思います。