55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

国家や家父長制度に内在する権力構造

            松本図書館の常設展示です

 

俗にいう「志望理由」のこと

 たとえば、大学入試・医学部の面接で、「なぜ医師を志したのか」という質問に対して、「父が医師なので」と答えると、ここから怒涛のつっこみが始まります。

 もちろん、医師という職業を知ったきっかけが家族であることは合否に関係ありません。問題は、医師という職業に対する理解・見識・覚悟です。父の存在から離れ、あなた自身は、医師という存在、医学という学問の価値、社会における医療の必要性や課題などををどのように考えているか、それはなぜか、その根拠は…と掘り下げた質問が飛んできます。

 つまり、「父が医師だから何となく」「父の後を継げと子供の頃から言われていた」が志望理由であるならば、医師の適正なしと判断され、面接の評価は低く、場合によっては不合格の根拠になります。

 

国家や家という制度に内在する権力のこと

 封建社会は縦社会。家のことは祖父が決める、祖母の許可がないと何もできないという古い習慣が残る家庭も少なくないようです。

 では、家の権力を持つ「祖父」がどんな人か…ですね。

 祖父が、暴力的で、自己の理想を押し付け、他の家族と対立関係だとしましょう。

 そこでは、祖父の持つ権力が「暴力」で可視化されます。つまり、おかしいのは祖父ということが、誰の目にもわかります。

 一方で、祖父が穏やかで、家族との関係も良好だとしましょう。

 ここで観察し、見極めないといけないことがあります。

 祖父が「頭がよい」「家族の弱みを握っている」などの状況がある場合、家族は無意識に「祖父の期限を損ねないようにする」「祖父の理想に従おうとする」とします。つまり、無意識ですけど、自らの意思で、祖父の理想に従って行動しているのです。

 この場合、祖父が持つ「権力の暴力性」は見えにくいです。しかし、家長としての権力は巧妙に行使され、家族に抑圧を与えています。問題は、家族にその自覚がないんですね。家族は、「自分の意思」で祖父に仕えていると思い込んでいるんです。場合によっては、祖父の理想を実現しようと善意で行動する家族もいます。

 

ここからの判断が難しい

 このような状況は、「忖度~洗脳」までの段階があります。

 でも、祖父は「何も言っていない、強制はしていない」、家族も「自分の意思・善意、祖父はいい人」と主張します。そういわれると、第三者的には「異常な状況」であっても、それ以上踏み込むことは法的に難しいです。

 ただし、虐待やDVには、確実にこの構造があります。

 宗教や過度な教育的指導も同じ。

 おそらくですが、日本の文学者で、最初にこの構造に気づいたのは森鴎外

 彼は、代々津和野藩の御殿医を務めた森家の長男。長男として医師になること、没落した森家を再興することが自分の人生の役割と考えて育ちますが、どこかで、そのことに疑問を感じたはず。つまり、「森家の人々(特に母)の理想を叶えることを自分の意思で行っている自分」の存在に疑問を持ったのですね。これが「舞姫」のテーマ。「まことの我」の目覚めです。

 

いろいろ議論はありますが

 政治家は、選挙に落ちればただの人です。

 政治家の最大の弱みは選挙。ただし、当選確実な票を得ることができれば、それは政治家にとって最大の強みとなります。

 最初は、当選させてくれた御礼だったのでしょう。やがてそれは無意識にエスカレートして、有権者の理想を叶えようと、自分の意思で行動するようになります。その時、政治家を志した時の純粋さは失われます。そして、自己の政治的信念や倫理は、有権者の理想に乗っ取られます。しかし、そのことに気づくことができません。有権者のために活動すること、有権者の理想が自己の理想と思い込むようになっているんです。

 これは、完全に「自己というものを喪失した状況」と言えるでしょう。判断力・思考力・政治倫理を失っているんですけど、そのことに気づけない。それどころか、自分の行動は「善意」であり、有権者のために一生懸命活動しているという自己評価になります。ここまでくると、かなり重症(笑)

 

 巧妙な権力は、人々を権力に従順に従わせる。

 従順な人々は、権力の理想の実現のために、自らの意思で行動する。

 巧妙な権力は、このような従順な人々を作ることがうまい。