◆文章が書けない…という相談
「今どきの若い人は文章が書けない」という世論と言うか、先入観というか、定番の若者批判があります。
ちなみに、学習支援のボランティアをしていると、高校生が「私文章が苦手で」と言いますし、企業研修レポートを読んでいると、その企業の研修担当者が「うちの社員は文章が書けなくて」と言います。少し前、AIで東大受験をする研究を進めていた方が、「今どきの若い人は文章が読めない」ということも言っていました。
…そういうことを言うから、書けなくなる、書かなくなるのではないかと思うのですけどね(笑)。
◆文章は書かないと書けるようにならないという逆説から
「書けない…」という人を大きく2つにわけると、「文章を書くことに苦手意識」「書くのは好きだが評価に結びつかない」となります。
ということは、実は「書ける」のです。で、そういう人には「書かない文章指導」をすることになります。「会話で書く内容を意識化する」という作業ですね。
この作業は、俗にいう「発散~収束」という流れで行います。
◆人間の脳は「感情論」から動き出す
発散では、いわゆるブレーンストーミング的な会話をします。ただ前向き発想を求めるだけでなく、ネガティブな感情、怒り・不安・懐疑などもどんどん出してもらいます。つまり、まず感情論でいいのですね。普段は封印している思いや言葉まで出てくるとしめたものです。この感情論が「餃子の皮」。そして、感情論が出尽くすと「冷静な思考」、つまり餃子の餡が出てきます。
冷静な思考が出てくると、私の言葉は「それでそれで」という言葉から、「なんでなんで」に変わります。収束に進むってことですね。
急がば回れってやつで、とにかく「好きなことを言ってもらう(カジュアル)」から入り、「テーマがわかってくる、テーマについて考えるようになる(フォーマル)」になれば、あとはみんな「形式(ドレスコード)」に沿って思考・説明ができるようになるようです。
◆ネット上の議論は感情論・発散・カジュアルなものが多いかも
そういうものに影響を受けている人は、高校生にも大人にもいます。企業の研修レポートを読んでいると、私と同世代と思われる人にもいます。ネットは「発散の場」ですからね(笑)。こういう人は、発散段階で「文章を提出してしまう」「思考が完結する」ってことです。それは、評価につながりません。
また、感情論は意外と浅いです。餃子の皮と同じ。
ですから、字数が足りない。そこで同じことを繰り返すか、羅列的な説明にする。その結果、「何が言いたいかわからないレポート」になります。書き手も「何が言いたいか模索中」ですから。これを、個人的に「雑談レポート」と名付けています。
◆感情論を吐き出す尽くすと、思考は自然に動き始める
「書かない文章指導」とは、つまり壁打ちです。私が壁。
壁として「雑談」を傾聴します。傾聴していると、感情論から、解決につながる「直観・ひらめき」が出てくるんですね。この瞬間に、「なんでなんで」に言葉を換えています。直観を論理に変える、直観を客観的根拠で裏付ける方向に進みます。
ただ、この「直観を客観的根拠で裏付ける」ってのが難しいのです。
しかし、この「根拠」さえ見つかれば、論理構築には進みやすいです。
というわけで、今回の企業案件は、「試験のように90分という制限時間で書いたもの」「宿題のように2週間後の〆切が提示されたもの」が同時進行します。
個人的には、「宿題系」の方が、レベルが高いものが多いと感じます。ただし、宿題系でも、〆切当日に90分で書いた(笑)というものはなかなか悲惨な内容で…。そういう意味でも「評価」はしやすいと言えます。残酷な事実ですが。