◆評価する立場から見た高校生の小論文・社会人のレポート
ボランティアの学習支援、お仕事の一つで、いわゆる「レポート」を読むことが多いです。このブログの文章から「お前が言うな」と思われる方も多いと思いますが、ちょっと唸ることが多いです。
とてつもなくすばらしいレポートとの出会いもあります。だいたい20人に一人。
企業研修であれば、この1人が幹部候補。こうやって自分の知らない場所で、自分の知らない人に評価されたレポートが、自分の将来を左右するんです。
もちろん、「人の運命を左右する」わけですから、問題作成・評価には最新の理論と細心の基準を設定しています。
逆に言えば、「これでは…」というレポートが19人なわけです。それは、企業の生産性や社員の知力にかかわります。ただし、大学入試では倍率の関係で「普通の小論文」でも合格してしまうわけです(倍率が20倍という入試は今どきはほとんどないですから)。普通の小論文でも合格した人が、やがて企業に入って、「これでは…」というレポートを書くわけで、これはまずいです。非常に。
◆何がいけないのか
企業レポートも、大学入試の小論文(志望理由書も含む)も、「やっつけ仕事」なんですね(笑)。おそらくは、締切が迫ってきて、とにかく「決められた文字数」を満たしたという文章。俗にいう「夏休みの宿題の読書感想文を、とりあえず期限までに提出しました」という感じ。
そして、とにかく思いついたこと、普段考えていること、知っていることを思いついた順番で書いて、規定文字数を埋めたら「これからも頑張りたい(努力宣言)」をして終わる。これが19人。基本的には「D評価(A~E)」です。大学なら「不可(単位不認定)」ですね。
なぜ「D評価」かというと、思いついたこと、知っていることを羅列しただけなので、「論理性」「独自性」「創造性」が皆無なのです。
◆形を整えよう!
高校の進学先、社員の学歴を伺うと、日本の最高峰もいますし、修士・博士課程修了の研究者もいます。そういう人は「論文」を書いてきているはずですが、なぜ、こんなやっつけ仕事をしてしまうのか…。
本業が多忙な中、研修に意味を見出せないのか。「一般入試×共通テストの勉強」と「総合型選抜」「指定校推薦」の対策とを並行するのがしんどいのか。そのあたりは想像になるので控えますが、評価は「忖度なし」で行います。
とりあえず、「出題意図を理解する」「序論・本論・結論×見出しで構成する」「論点を明示する」という形は最低整えてほしいのです。
特に結論は、「自分の意見を述べる」のではありません。「論点についての考察のまとめ・検証」をするのです。そのあたりが、よくわかっていないようです。
あるいは、間違った理解をしているのかもしれません。
◆すこし考えていること
書店に行けば、「小論文の書き方」「レポートの書き方」の参考書は山ほどあります。また、高校の探究学習、大学の初年度教育、企業研修で「文章講座」はあるはずです。それでも、まぁ、20人中19人は、「自己流」で書いてきます。この「19人に対するテキスト」が必要…と考えています。
具体的には、「このように書きましょう」ではなく、「こう書くとダメ」というテキスト。要するに、自己流・我流だとかならず嵌ってしまうパターン、誤解があります。ここから書き起こすテキスト。世の中「正解はない」といわれます。「正解がないなら何でもOK」と考えるのが、自己流の誤解。
「正解のない世界には、不正解が存在する」のが「思考」の世界。
禁則・タブーには、あまり触れないのが今の世の中のお約束で、それを知らないのは「自己責任」というのが人事の現実になっています。この発想は、「人口増加社会×競争社会×生き残りを選抜する」という価値観(イカゲーム的世界観)ですね。
しかし、すでに人口減少と世代人口の不均衡化は進んでいます。
生まれてきてくれた、入学してくれた、入社してくれた方々を「育てる」ことにハンドルを切らないと、社会が維持できないと感じています。
というか、「公務員は使えない・民間では通用しない」と散々罵倒された私が、民間企業の研修、私立学校の教育活動に参加していますけど(笑)、大丈夫ですかね…。