◆昨日見たドラマはバブル時代の銀行が舞台
昭和の終わりから平成元年あたりを描いていました。
株も土地も持っていれば儲かった時代。新興企業が観光地のリゾート開発に乗り出し、ノウハウを持っていないのでコンサルを雇って騙され、銀行はもうすぐバブルがはじけるのも知らずに数百億の融資をするんですね。切なくなりました。
私は、平成元年就職です。
私大の初年度納入金(入学金+学費・諸経費)はまだ60万円でした。ただ、私の1~2年下の世代は100万円を超えていましたね。都心の大学が郊外にキャンパスを移転していた頃。青山学院大学が厚木(の山奥)に校舎を作って話題になったのは、私が高校生の頃です。
◆あの頃の過ちとは…
未来を事実に基づいて考えていなかったこと。
たとえば、バブルのはるか以前から現在の「人口減少」「少子高齢化」は予想されていました。平成になった頃には、具体的な対策を進め始めていましたが、たとえば日本海側の都市の人口減少はすでに深刻な状況でした。
いわゆる団塊の世代誕生後、昭和28年前後をピークに、特に西日本の日本海側の都市は人口が減り続けているのです。そういう事実に基づいて未来を考えないといけなかったのですが、そういう発想を持たない、もしくは受け入れない状況だったのですね。
そして、地元を離れていく若者を責めるようになったのもこの頃。
「集団就職世代」が世の中の中心になっていました。中卒(高卒)で上京し、そこでいろいろあって、ご苦労されて、結果地元に戻って就職・結婚された方です。要するに「東京にあまり良い思い出がない人々」なんですね。そのせいか、子供たちが地元を離れることを極端に嫌がるのです。
◆公務員に転職したのは平成5年
そのころすでに始まっていたのは、学校・病院などの統廃合計画の立案。地域インフラの再構築です。コンパクトシティという言葉が世間に広がったのはこの頃ですね。
で、コンパクトシティ構想が動き始めると、駅近の地価が上がって郊外が下がる。そこで郊外の土地を買ってロードサイドに出店する企業が出てくる。後継者のいない農家が畑を売って住宅地になる…というわけで、郊外型車社会が出現します。
人口減少への対応とは逆ですね(笑)
そして、駅近の商店街がシャッター通りになり、郊外のスーパーがないと生活できない暮らしになります。やがて、人口減少が進むとそのスーパーも閉店になる、あるいは、高齢者が車を手放すことができなくなる…というのがよくあるパターンですね。
そういうことは、よく考えればわかることなのですが、当時は…。
◆高校生と一緒に小論文を考えるとき
とにかくデータ・事実を把握するように助言しています。
高校生ですから、社会課題を見抜く目は鋭いのです。その直感を、データで裏付けて客観的事実にするということ。この作業を進めると課題の本質が見えてきます。
あの頃、景気が良くなり続けるという根拠のない物語に浮かれていたことの反省。
人口減少という不都合な事実に目を背け続けていたことの反省。
人口が減るなら人口を増やせばよいという短絡的な発想の反省。
若い者が地元に残らないのがいけないという他責の発想の反省。
…です。
というわけで、今日は仕事をしながら、そのドラマの続きを見ます。
ストーリーは、バブル崩壊に入るはず。
そして、午後は高校生とミーティング(ネット)です。