村八分って言葉があります。
何でこんなことをしないといけないのか、身に染みた出来事がありました。
◆誰かを悪者にしないと人間関係が保てない
転勤で地方に行くと「よくこんな田舎に」「ここには、なんもないのさ」と、自虐的・否定的に地元を語る人がいます。
公務員時代のお仕事は、広い意味で「人口減少対応」でした。市町村合併で「市」にはなっていますが、人口減少の加速もあって、実質「町・村」でしかない地域。限界集落。自治体収入の3/4が補助金。などなど。そういう地域に行く時は、いろいろ気をつけないといけないことが多いです。
それは、よそ者は悪者にされやすいということ。
地域のタブーを知るまでは、おとなしくしていること…。
◆人口減少が加速する地域によくあること
過去の栄光が忘れられないのは仕方ないです。
それぞれの土地には歴史があり、偉人があり、豊かな自然の恵みがあったわけで、それを否定する必要はない。でも、それを「ハコモノ」にする必要はあるでしょうか?
「ハコモノ」=観光に依存した街づくりは、リスクが大きいですし…。
予算の優先順位が「医療」であることも否定しません。
しかし、「出産」は病気ではないという理屈を振りかざして、出産や育児の支援を認めないのはどうなんでしょう。教育に予算を認めない大人も多いです。彼らは必ず「勉強できるヤツは、大学で東京に行ってしまって帰ってこない。地元への愛がない。地元に残らない子供に予算は出せない」と言います。
◆そういう地域で、人口減少対策・医療・教育を担当する
東京の大学に行った若者が、地域経済、地域医療、地域の自然の恵みを生かした新しい農業を学んでいることを知ってもらう機会を設けたり、それぞれの学びを、地域の大人にプレゼンする企画とかやりましたね(笑)。
また、県外の大学の看護学部への進学を希望している高校生と、地域の大人の対話の場を設けました。なぜ、県外の大学の看護学部に行くのか? それは、地元の看護学校では「助産師」「保健師」の資格が取れないから。
地元には産婦人科がない。そこで、出産前指導から出産、その後の子育てまで手伝える人になりたい。産婦人科専門の医師がいない地元で働くためには、高度な知識・技術・経験が必要。だから、大学卒業後もしばらくは県外で働く。地元に戻ったら、地元の看護学校に進んで、地元で看護師になる同級生たちと「訪問看護」のシステムを作って、女性と高齢者が安心して暮らせる街にする。
◆みんなが、少し貧乏で、少し不幸なことで共同体意識が生まれる
そういう中で、大学に進学する、そもそも勉強ができる・勉強をしていることが許せないんですね。
農産物を「ネット販売」すると村八分、大学に進むと村八分、出産のために都市部の病院に行くと…。というわけで、今はそういうことは減ったと思いますが、昔は結構いろいろありまして、そういう中で、公務員としての業務と地元の人との間に挟まるのが、なかなかしんどかったです。
そして、こういうことが「東京」でも目立ち始めました。私が地方で暮らしたいと考えたのは、東京が「もう私の知っている東京」ではなくなってきたからです。
そして、むしろ「地方」に、地元の未来を真剣に考えている人が増えてきました。
今まで村八分にされていた、大学進学する高校生、ネット販売などで活路を見出す生産者が認められるようにもなってきました。そうなると「誰かを悪者にしても意味がないこと」がわかってきます。それよりも、「みんなで少しずつ豊かに、少しずつ幸福になる」に価値観が変わってきます。
とは言え、たぶん、過去の赴任地のいくつかで、私は「出入り禁止」になっているようです(笑)。会いたくない人も少なくないでしょう。
しかし、もうお仕事を辞め、東京を離れ、知り合いのいない街で暮らしています。
ここで、今までとは違う「豊かさ」を手に入れ、「幸福」になりたいと思う今日この頃です。