55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

私が壊れた時(胃潰瘍編)

 

転職や早期退職には自分なりに理由やご縁がありましたが…

 今、割と安定した心身の状態で振り返ると、気づいたことがあります。

 それは、自分が壊れたこと。

 まぁ、自己管理がなってないとか、お前が弱いと言われればそれまでで、またそういわれる時代の価値観もありました。自分でもそう思っていましたね。

 

平成元年バブル期に就職しました。まず民間企業。

 同期は4名で、私はいきなり最前線配置。期待されていたわけではありません。単に人が足りなかったから。それくらいお仕事規模が膨らんだ時代です。

 社風は体育会系気質ではありません。ただ、男子校気質と言うのでしょうか、実際社員のほとんどは男性で、かつ専門性が高い人たちの集まりですから、自分の知恵と腕で仕事を進める一匹狼っぽい人が多い。何より口が悪い(笑)。

 「おめーそんなこともできねーのか」など、「否定」は男子校的集団の愛情表現であり、それだけ私のことを見ていてくれる、良い意味でやりたいようにやらせてくれる、失敗したらフォローしてくれるってことなんですけど、これを理解するまで少々時間が掛かりました。

 理解してからは、ある上司のカバン持ちとして、夜の銀座で接待の随行です。

 これも慣れるまではハードでした。実は私、酒×煙草×ギャンブルがだめで、そういう人間ですから夜の銀座も苦痛度が高い。ただ、そのおかげで身体は壊さなかったと言えるかもしれません。

 

当時の仕事ぶり

 接待への参加の効果かどうかはわかりませんが、比較的大きな案件に参加することができました。となると、そこそこな給与をもらうことができます。

 その会社は、「月給は年功序列」「ボーナスは能力・実績」でした。

 3年目の冬のボーナスは、何と100万円をこえました。某大手銀行に就職した大学の同期を上回っていました。バブルですね。

 で、20代独身の私がそんな金額を貰う一方で、ずっとベテランの社員でも実績が低いと冬のボーナスが10万円という人もいます。「ローン払えないから車売ったわ」というのが朝の挨拶。これが能力給の怖さ。

 そうなると、私へのハードルが上がるんですね。仕事の能力ではなく、接待のごますり能力という言い方もされました。「会社の経費で銀座で酒飲んで、おねーちゃんと遊んで、タクシーでご帰宅で、クライアントにゴマ擦ってボーナスいくら?」ってヤツですね。これは男子校的愛情表現ではありません。残念ながら、男子集団に特有の根深い嫉妬です。

 実際は、水割りと同じ色にしたウーロン茶を飲み、おねーちゃんには「クライアントに水割りを」と目で合図し、ママにタクシーの手配を頼み、私は終電で帰宅なんですけどね(笑)。同世代の方ならおわかりかと思いますが、バブル期に銀座でタクシー確保する難しさ、そして政財界の一流の人を見てきたママやおねーちゃんに認めてもらうまでの下僕的日々・男芸者的ふるまいってなかなかなものです。

 個人的には、「僕はこんなことをするために生まれてきたんじゃない」という感情がありました。接待もお仕事のうちと言われればそれまでですし、それはそれで大事なことも理解はできます。でも、この時間を勉強にあてればという思いは強かったですね。

 しかも、100万円は20代のボーナスとしては大きいですが、当時の銀座なら数時間です。そういう社会の仕組みに疑問もありました。

 

そして職場で倒れる

 冬のボーナスをもらった年の年度末、吐血しました。胃潰瘍ですね。

 この時は1か月入院しました。一応「公傷扱い」で査定には響きませんでしたが。

 言われたのは、「これでお前も一人前だな」と。

 先輩社員のほとんどは、みんな一度はメスが入っているんですね。そういえば、仕事中でもお菓子をつまんでいた○○さんは、胃を全摘していました。ゆるい会社だな…と思っていましたが、そういうことなんですね。

 

胃潰瘍の原因とその後

 医師に言われたのは、ストレスと過労。

 「24時間戦えますか」と言われた日本的企業戦士の職業病。そして「能力給×競争原理」の弊害。個人的には、能力給×競争を導入してもかまいませんが、同時に「逃げ道」も必要と思います。ジャイアンツでポジションを取れず、監督に認められなくても、日本ハムに移籍したら活躍できたというケース。つまり人事の流動性ですね。

 人事の流動性が低いまま、競争原理を持ち込むと、つぶれる人が増えます。

 もちろん人脈は大切、特に社外のつながりを持つことは新規獲得であると共に、「それぞれの持つ課題の解決」をもたらしますから、とても重要。銀座で飲むのも「そこでパートナーとしてふさわしいかを見抜く・判断する」という意味ならば必要。

 でも、それをもっと違う形でできないかな…と最初に思ったのが、この入院。

 この時、すでに公務員方面からのお誘いはありました。

 人事の流動性が高く、給与体系は基本年功序列で、民間では解決できないような課題解決に取り組める、もうけを考えずに住民サービスを提供できる…そんなことがわかってきて心揺らいだのは、倒れてから。

 

 そして3月上旬に退院して職場復帰。

 4月、上司に「ひょっとすると転職するかも」と伝える

 6月、公務員試験受験~合格となります。

 この経験が、後に「チーム作り」「新人教育」「社外人脈の構築」につながっていく原点だったようです。要するに「流動性が高く、風通しの良い職場にしよう」ですね。 

 みなさんの会社はどうですか?