55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

あの日を振り返る(東日本大震災の記憶)

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11年前のあの日も、いつもどおりの朝でした

 いつもと同じように出勤し、お昼を食べ、面会があり、1階玄関でお見送りをし、そこで揺れがきました。大きいなと思い、でも、そろそろおさまるはず…というタイミングから揺れが大きくなりました。歩くことどころか、立つことも難しくなり、アスファルト舗装されていた地面が割れ、人々は地面にしゃがみこんでいました。

 自宅で一人なら、その恐怖には耐えられなかったでしょう。しかし、勤務中でもあり、頭の中で「災害対応、市民の生活を守る、避難所設営、ライフラインの確認、支援ルートの確保」などを考えていました。

 

何が運命をわけたのか

 一つは自然の脅威を伝える人がいたか、いなかったか。

 公務員には異動がつきものですが、実は異動することなく、その部署の生き字引・その土地の主として存在するベテランがいました。そういう人は、平時の仕事効率は低いのですが、危機の時に全体を救ってくれるのです。

 そういうベテランを大事にせず、平時の仕事効率の低さを理由に異動させていました。古老から昔の津波の体験談を聞き、地元の小中学校で防災教育を受け、災害時の地域を仕切っていた人を内陸部に異動させる。そして、何も知らない人を沿岸部に派遣する。結果、次に何が起こるかを体験的に知り、命を守る知恵を持つ人がその場にいない、もしくは組織の長になってしまったため、「逃げる」という指示が出ないのです。

 もう一つは、「もう1回逃げること」ができたか

 たとえば、建物の外に避難する。それで逃げた・大丈夫ではないのです。

 ここからもう1回逃げる。高い所に移動する。火災の危険性から離れる。つまり、もう1回逃げた人は、高い確率で助かっています。

 一方で、避難して、そこで安心してしまった人、思考停止してしまった人は、難しい状況になります。

 

復興に必要な発想

 「未来を誰に託すか」です。

 みんな、「元通りにして欲しい」「前の生活を取り戻したい」と思っています。そういう気持ちはみんな共通でしょう。

 しかし、人口減少も、第一次産業の後継者不足も進んでいます。今のままではいずれ…と口には出さなくてもみんなわかっています。でも、それを話題にするのはタブーだったんですね。このタブーに触れることができたか否か、これが復興のスピード・内容をわけます。

 地方議会も高齢化が進んでいます。村や町の議員はほぼ60歳以上。その決断は、「元通り」という感情論に傾きがちです。そして、もめます。

 「ここに一番長く暮らすのは若者だ。だから、若者に新しい街を作ってもらおう、若者に復興を任せよう」と考えた地域は比較的早く動き出します。そこでは、大人が「外圧の盾」となって地域と若者を守ります。

 「未来を若者に託す」ことが、復興には重要です。それは、震災×被災地だけでなく、日本の政治・経済・科学・学問・教育など、あらゆる場面で必要なことです。

 

震災を振り返るとは

 「あの時運命をわけたものは何か」から、未来を考えることではないでしょうか。

  ただ、住民×若者が主導して復興を進めている街は、中央政府やお年寄りには「都合の悪い存在」「自分の存在を脅かす状況」でもあります。

 「運命をわけたもの」を追究すると、若者に未来を託せない日本というタブーに触れることになります。

 ここから「若者に未来を託す×大人は若者の盾となる」というのが、私の振り返り。

 防災教育も、悲劇を語り継ぐことも大切です。

 10年経ちましたから、そろそろタブーを解放し、未来に禍根を残さないことも必要ではないでしょうか。老兵は消え去るのみです。