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少し前に↑のような記事を書いていました。
今日は、その後のこと
◆医療現場のシステムに学ぶ
医療担当に異動して、現場のシステムにいろいろ学びました。
カンファレンス、ケーススタディ、患者主体の医療という価値観は、20年前、とても新鮮で先端的なものに感じました。課題発見とその解決、合意形成など、今では当たり前となった組織運営を知ったのはこの頃。
ここから、どうやってチームを作るか、社会課題を解決するか、プロジェクトを進めるかということに興味を持ちました。
つまり、物事の決定を、「飲み会」「儀式としての会議」ではなく、「ミーティングで行う組織にする」ということです。だって、医師が飲み会で患者の手術を決めていたら問題ですよね(笑)。
◆参加メンバーの「個」を見直す
「個人」を見直しました。
「個人」は、本人の努力・能力によって成立する部分と、本人の責任ではない属性とからなります。最近だと「〇〇ガチャ」と言われるものは「本人の責任ではない属性」ですね。性別・出身地・親との関係性などですね。一方で、公務員試験に合格する、難関大学を卒業するのは、「本人の努力・能力」の要素が大きいです。
意外とグレーゾーンだったのは「職場での評価」です。「評価基準×評価者」にはある程度の「主観」があります。また、「努力×能力」が高い人でも、「適性への配慮のない人事」をされると「ダメなヤツ」という烙印を押されがちです。
そもそも「付き合いが悪い」「定時に帰る」「お酒が飲めない」「子供の運動会に参加する」ことが、「職場・仕事への熱意が足りない」ことの根拠とされた時代です。
◆ハラスメントの基準を自分なりに意識する
職場外でワークショップやファシリテーションについて学ぶ中で印象に残ったことがあります。それは、お互いを「愛称、ニックネーム」で呼び合うことなんですね。事前の名刺交換などを禁止するパターンもありました。
自己紹介では、職業・年齢など個人の属性は語らず、今日の勉強会に参加した目的のみを共有することもありました。これがとても新鮮でした。
このあたりから、「同僚との距離感の取り方」が自分の中ではっきりしてきました。要するに、「お仕事で必要な情報以外に興味を持たない」ということです。学歴、出身大学、職歴、家族構成、出身地、休日の過ごし方など、「個人の属性や生活」を話題にすることから距離を置きました。
逆に言えば、「個人の属性や生活」に踏み込みことは、「ハラスメントそのものになったり、ハラスメントの導火線」になるということです。
というわけで、朝の会話は「時候の挨拶」となります。日本の伝統文化に帰すんですね(笑)。さらに言えば、「時候の挨拶ができるということは、そういう余裕が職場にある」ってことだと経験的にわかってきました。
◆プライベートに踏み込まない関係性を意識すると
個人の能力・専門性・努力が発揮されやすくなるという逆説が成立します。
そして、個々の能力が集約されて課題解決、プロジェクトの進行が導かれます。いわゆる「生産性の高い組織」になるんですね(笑)。
それに慣れた頃、改めて職場を見直すと、私の基準で言えばハラスメントだらけとも言えました(笑)。もちろん、一定年齢以上の世代、若手でも体育会系組織出身者にとっては違和感のない環境だったようです。私も、そういう世代ですから、そういう価値観がどこかに沁みついています。
しかし、これに気付かないことが「おじさんたちのパワハラ」の根源なんですね。
ということを意識し始めたのは、ちょうど2000年あたりから。
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだのは、その頃です。