◆池井戸潤の銀行小説に
主人公の銀行員が、お仕事のことで銀行を退職した同期に会いに行きます。
その同期社員は優秀で、ただ上司との意見の相違、組織で働くことの疑問などをきっかけに大手銀行の出世コースを捨て、金融コンサルタントとして独立。しかし、いざ独立してもあまりうまくっていない。独立して銀行員時代の取引先に挨拶にうかがっても歓迎はしてくれるが、仕事にはつながらない。そんな日々が続くうちに、結局は銀行という看板、組織の大きさで取引ができていたことに気付く。そして、個人の限界、スキルの未熟さに気付くというストーリーが度々出てきます。
年齢を経るごとに、人間関係は「所属している組織(学校・企業など)」が起点になります。要するに「学歴(偏差値を含む)」「職歴」が、その人の「身分」「価値」の第一印象になるんですね。いわゆる「名刺」からのつながりですね。
◆名刺のない人になる
無職・無所属・無収入になると、「社会的なつながり=お仕事上のつながり」がきれいになくなります。そして、お仕事上でつながっていただけの人とは、きれいに離れます。そもそも、連絡することも連絡されることもないですからね(笑)。自分も、現役時代はそうでした。退職された方に頼ることってないですよね。
この状態で残る人間関係が、自分の価値と考えてよいでしょう。
つまり、お仕事・損得・貸し借り抜きの関係性を構築していた人ですね。そういう人とは、不思議とつながりが絶えません。また、学生時代のつながりは自然と復活します。
私は、東日本大震災を経験してからSNSを始めました。と言っても「FBだけ」ですが(笑)。ただ、名刺交換したあと「FB」でもつながった人とは、何となく関係性が維持され続けています。そこで発信される情報、共有される情報には貴重なものが多く、そこから何かに発展することもあります。
◆私にとって幸運だったこと
不謹慎な言い方になりますが、コロナの感染拡大ですね。
かつての職場や同僚の多忙に拍車がかかることは理解できました。また、人と会うという状況でもありません。必然的に引きこもります。電話もメールもしません。FBからもしばらく距離を置きました。
人間関係の断捨離も考えていましたが、それが外的な状況からも可能になったということですね。「強制的な自粛×内的な自己抑制」が自然に進んだのはとても幸運だったと思います(私が若手の頃は、退職した人がお茶のみに職場に来て一日応接椅子にいるということも少なくない時代でした)。
早期退職後、こちらからは一切アプローチすることなく、それでも残った人間関係をこれから大事にしていきたいなと思います。
◆無常ということ
世の中は変化し続ける、常なるものは存在しない…無常という言葉が深くささります(笑)。組織から離れると、その時点で「時計が止まってしまう」「自己の成長や変化がとまってしまう」「周囲の成長や変化を受け容れられなくなる」のが、50歳を超えた人間の自然の性のようです(笑)。特に、元々向上心に欠ける私は、その危険性がとても高いと言えます。過去の武勇伝を語るハラスメントおじさんになりがち。
ただ、「時間×時代×価値観」は常に動いています。その変化に身をゆだねることができれば、無常を受け容れることができれば、いい意味で流されていけば…と思います。
これからは、人ではなく「内的・外的変化に身をゆだねること」が依存。つまり、依存が自立になるという逆説の成立ですね。ここが個人の価値と人間関係の起点になるのかもしれません。
ということを、現役時代にわかっておけ自分!って話です。
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