55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

「意味を考える」「根拠から考える」「自ら考える」

 お仕事がちょっと難航気味です。

 理由は明確で…

 

テーマについて述べるレポートを読むと…

 「A」というテーマが与えられています。

 私は「A」とは「○○」と考える。

 これが、ほとんどのレポートの始まり。

 それは問題ないのです。

 

「○○」と考える「根拠・理由」が記載されていない

 「A」とは「○○」と考える。

 と始まれば、「その理由は~」と続くことを予想しますが、そうではない(笑)。

 「○○」の内容の説明が延々と続きます。中には全文箇条書きのものも…。

 つまり、主張に対して、その根拠・理由がないのです。

 

レポートには「考察」を示してほしい

 与えられたテーマについて「そもそも」を掘り下げることもありません。

 「主張」に対して、「根拠」「理由」からの考察もありません。

 つまり、論理性や独自性がありません。「そもそも」を確認していないので、実践に対して課題を意識することもできません。

 「○○」についての一般論の説明で終始します。しかも、「○○」については、テーマについての書籍やネットの記事から引用されたものが多いのです。

 

心配になってきました(笑)

 もしかすると、その組織では「上の指示には無条件に従う」「結果だけが評価対象で、過程は重視されない」「代々受け継がれた方法論が、そもそもの意味などを確認することなく実施されている」…という、封建的な状況があるのかもしれません。

 つまり、個々が「意味を考える」「根拠から考える」「自ら考える」という習慣が失われているのではないか…という、そういう不安を感じます。

 もちろん、これは私の勝手な思い込みです。念のため。

 しかし、そんなことを感じてしまい、ちょっと仕事が進みません。 

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