お仕事で、東北にいます。
車で来たので、石巻方面を巡りました。最初に大川小学校に。
◆大川小学校で何があったのか
東日本大震災の津波で、児童・教員がたくさん亡くなりました。
その後、裁判になったりもしました。
私にとって大きな宿題の一つで、では自分がそこにいたらどんな判断ができたか、
このようなことを繰り返さないためにはどうしたらよいか、ずーっと考えています。
◆個人の責任を問うだけでは再発は防げない
起こったことに対する責任追及は必要でしょう。
ただ、個人や組織を処分と、再発防止とは、良い意味で切り離して考えましょう…ということを、わかってもらうことに苦労します。責任の所在と処分が終わると、忘れられてしまうことが多いのです。ある意味で「思考停止」すると言えるでしょう。
で、私のお仕事はここからで、二度と発生しないようにするにはどうしたらよいか…を、細々とスタートするのです。
◆この件は、再発防止策がなかなか見えなかった
震災時、宮城県で勤務していましたが、大川小学校の件には直接関係することはありませんでした。しかし、個人の宿題として考え続けました。
その場に自分がいたら、何ができたか。どうすれば全員が助かったか。
しかし、その答えを導くことがとても難しいものでした。
要因として考えられることは多岐にわたり、それが複雑に絡み、どうにも解決の手がかりが見つからないのです。
◆組織を離れてやってわかってきたこと
組織を離れると、個人になると、視点や思考の軸が変化します。
組織を離れることで、私の中でいろいろなことが結びつきはじめ、原因・解決・再発防止の発想が見えてきました。
一言で言えば「組織と発想の問題」なんですね。
人々は、先生たちに「正解」を求めます。先生方も「正解」を伝えようとします。
しかし、自然との共存・対応に「正解」はありません。いわゆる「正解はない」のです。ここでポイントは2つです。
①「正解がない」というと、怒ってしまう人の意見には巻き込まれない
②「正解がない」状況に「正解」はないが、「不正解」はある。
◆現場によくあること
いろんな人がやってきて、それぞれの「正解」をぶつけてきます。
彼らは、自分の意見が「唯一解」だと思っているので、非常に強い主張してきます。
これが、混乱の原因なんですね。
しかし、実際には正解はありません。正解のない場面にあるのは「不正解」。そういう意味で「正解が出るまで待機は、不正解だった」かもしれません。自然の脅威・災害発生時に「待機は唯一の不正解だった」と、今ならわかります。
◆組織の合意形成
災害避難は「2段階の発想」が必要です。
例えば、船が沈むならば「ボート」に乗る。さらに「ボートに乗ったら、救助されるまで生き残る」まで含めて「避難」です。手ぶらでボートに乗っても困るんですね。温かい恰好をする、水などを持参することが理想です。そう考えると、「何も持たずにすぐ逃げろ」という指示も考えた方がよいでしょう。
待機はダメですが、大事なもの・必要なものを持って逃げる…そういう指示が必要です。「一次避難~二次避難」の流れを作るんですね。
と簡単に書きましたが、こういう発想そのものに反発があるのです。
となると、事前の合意形成が重要です。つまり「責任者出てこい」では、再発は防げないんです。
◆自分の中で結論が出つつある
東日本大震災から10年目、やっと答え合わせが進み始めました。
それを確認するため、現地に足を運ぶ機会があって、よかったです。
犠牲になられた方のご冥福をお祈り申し上げます。