55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

公共のルールを守ることで、個人はルールに守られる

 近代になって「個人の自由」という概念が認められました。

 封建社会は、封建制度そのものが「社会のルール」でした。

 ということは、身分制というルールは「いじめ」を公認してしまうんですね。

 ですから、封建社会・身分制社会では「いじめ」はないんです。あるいは、それは「いじめ」ではないんです。封建的人間関係の一つに過ぎません。

 

自由に対応する概念は?

 「公共」ですかね。

 「自由」という概念の説明は大変難しく、「自由に基づいた行動」も、その是非の判断は難しいです。

 「自由」の反対語は? と問うと「不自由」しか出てこないことも多いです。

 他には「義務」「抑圧」「拘束」でしょうかね。

 もちろん、「公共」が正解かどうかはわかりませんが、自由の同義語・反対語・類義語が出てこないことは、自由の概念の認識が浅いか、偏っているか、ということを感じさせます。

 

公共が崩壊すれば、個人の自由の権利は守られない

 コロナ禍で感じるのは、日本人の民度の高さと言われます。

 日本人の民度の一つに、「公共を守ることで、公共が自分を守ってくれるという知恵」があります。

 「みんなが幸せだと私が幸せ」ってことですね。

 

自由にも制限がある

 自由にも制限があるという逆説は、多くの人に無意識に理解されています。

 だから、個人の自由を権利として主張し続ける人、その人の個人の自由が他者の自由を阻害する人は、コミュニティから距離を置かれます。

 ただし、これがマイナス面に出ると「閉鎖主義・同調圧力ムラ社会」になります。つまり「公共が個人の自由を阻害する」になってしまうので、これはまずいです。

 しかし、「ルールを守ることで、ルールに守られる」という日常感覚があれば、これが「自由の制限のボーダーライン」として感覚的にもわかると思います。

 

政治とは最高の道徳である

 「非常時だと国民を扇動するものが存在するのが非常時だ」という言葉もあります。

 日本の政治家には、こういう言葉を言う人がいました。

 今はどうでしょうか??

 公務員のお仕事をしていると、様々なご意見をいただきます。

 クレーム対応も仕事です。ただし、クレームにも二面性があり「個人の自由が公共を破壊するクレーム」は、いい意味で無視しました。

 「公共を破壊する個人の自由」を国民のご意見として尊重し、根拠として役所が動くと、「公共を守って生活している国民の自由」が阻害されます。そして「正義・公正」が失われ、公共が国民の自由を奪うようになるのです。

 

現在の政権・オリンピック組織委員会・報道に「正義・公正」はあるか?

 コロナ対策の優先順位、オリンピック開催の可否、報道すべき社会課題が混乱しているように感じます。

 結局、個々の立場・利権・利益、価値観・評価、人間関係が判断基準になってしまっているのですね。そのため、個人の自由が公共を阻害する状況と言えます。

 シンプルに「正義・公正」を基準にして欲しいものです。

 報道に載らない・政治家の耳に届かない「サイレント・マジョリティー」は、まだ公共のために個人の自由の制限を自ら実践している状況です。

 個人の自由を逸脱した「ラウド・マイノリティー」のための政治・オリンピック・報道に進まないこと…それを祈る今日この頃です。

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       アイスの基本はバニラ、好きなのはストロベリーです