55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

キャンセルカルチャーという言葉

 キャンセルカルチャーという言葉を初めて知ったのは、正確な記憶はないのですが、2011年以降のことです。

 ハラスメント、ポリティカルコレクトなど、近年はさまざまな概念が言語化されています。とてもありがたいことで、社会課題を明確にしやすいです。これを、正しく理解すれば、個人が守られ、社会がよくなると感じています。

 

新しい概念は「誤解」されやすい

 新しい概念は、古い概念と混同されたまま理解されてしまいがち。

 また、今までの概念を否定する部分もありますので、ここで反論がきます。

 例えば「いじめ」

 加害者(加害者の保護者)は、被害者の責任や教師の過失を訴えることが多いです。そこにあるのは「悪を相対化することで、原因は加害者にはないという自己正当化」の手法ですね。

 あるいは「加害者」を徹底的にやっつけろという世論。個人情報が暴かれ、特定され、炎上するパターンですね。

 

新しい概念が誤解されると「排除の理論」が暴走する

 人間の思考・マスコミの報道は「善悪の二分法」になりがち。

 この「単純すぎる思考」は、「排除の理論」に進みます。つまり「悪」を、世の中から排除していくことで問題を解決しようとする発想です。

 その時、排除される側は、本当に「悪」なのか…ということが重要です。

 二分法で示される「悪」は、善に対する「相対的な悪」に過ぎません(もちろん、世の中には絶対悪と言えるものがありますが、ここではちょっと横に置きます)。

 「捏造された善」が根拠だったら…。あるいは、一次資料を確認することなく、報道や噂で示された二分法の図式が根拠だったら…。こうした根拠から「悪~排除」が進むのは、好ましいことではありません。

 

キャンセルカルチャーは「公的」な部分で発生しやすい

 公共性の高いお仕事、交渉、イベントには「守るべきマナー」「触れてはいけないタブー」があります。オリンピックは、このレベルの最高峰の一つでしょう。

 つまり、キャンセルカルチャーは、公的な場面で発生しやすいのです。罪を犯し、世間から追放されても、本人の努力によっては小さなライブハウスで活動を再開できることもある。ただ、そういう人を再び公的な舞台に招くことは、その人から名誉を奪い、再起不能にすることがある。それもキャンセルカルチャー。だから、招く側の責任も重いのです。

 

オリンピックに関わることで名誉を失った人、不幸になった人

 その多くは「招かれた側」「クリエイター」です。

 「招いた側」「発注元」には、何の動きもありません。

 もし、キャンセルカルチャーが、このような形で日本に定着するならば、今後、公的な仕事に関わる人はいなくなるでしょう。

 クリエイターは舞台を世界に移し、日本のためにその才能を提供することはなくなると思います。志を持って政治家や官僚をつとめる人、公務員や教員も減るでしょう。

 結果として、近年の自民党が目指す「民間活力」が高まると思います(笑)。

 優秀な人材は世界と民間を目指し、日本には背を向けて暮らし始めます。そういう動きは、すでに始まっています(笑)。

 このオリンピックが「終わりの始まりなのか」「新しい時代への転換なのか」。

 もちろん、後者であることを祈るのみです。

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