テーマ「あくまで個人の見解ですが」
「東京出身×転勤が多かった」ので、そんな相談が舞い込みます。
東京、東北、関東、関西、沖縄という文化圏を跨ぐ転勤でした。個人的には、風土や歴史を背景にした建築・街づくり、美味しいもの、お祭り・神事への参加は、とても楽しい体験でした。
一方で、まぁ苦労もないわけではありません(笑)。
この苦労の根源にあるものを、最初に伝えるようにしています。
◆目次
本音と建前
言うまでもなく本音と建前は真逆です。例えば、移住者・転勤者は、歓迎されていますが、警戒もされています。地元の人は変化を求めていますが、現状維持も願っています。
こうした「矛盾」が、日常生活・業務遂行の中で徐々に見えてきます。与えられた業務は「課題解決、新規事業の開始、地域創生」なのですが、進めていくと「そのあたりで」「それは無理して進めなくてもよい」「こっちが優先になるので」という逆の指示・助言がきます。このあたりで、わけわかんなくなってきます(笑)
「矛盾」を「逆説」として理解するために
「巨人軍の伝統」を根拠とした「原監督」への批判があります。「FAで各球団の主力を引き抜く」ので「生え抜きの若手が育たない」とかですね。
しかし、巨人軍の歴史を紐解けば、南海のエース別所、国鉄から金田投手、森永(広島)、高倉(西鉄)、桑田(大洋)といった主力を獲得しています。そもそも川上監督時代、チームプレー(ドジャースの野球)を巨人に定着させた牧野コーチは中日の選手でした。つまり巨人軍は昔から「ハイブリッドな組織だった」と言えます。
それをふまえてか、現在の原監督は「FAで選手層を厚くすることで、若手を使う余裕を作る」と言う方針でチームを作り、「育てながら勝つ」という逆説を可能にしています。この「FAで選手を取ることで、若手を使う余裕を作る」を「矛盾ではなく、逆説として理解できる」のは、その文化の中で育った人に限られます。
異文化理解とは
表面的な矛盾に潜む「逆説」に気付くことですね。
「ここは田舎でね、風景が100年前から変わらない」と「自虐的」に表現する人がいます。変化がない、進歩がない、取り残された場所というニュアンスで語るのです。
しかし、風景が変わらないということは、人々が手入れをしてその地を守り続けたということです。放置すればすぐに荒れ地と化す自然の力と戦い、風景を守り続けているのです。その持続的な営みこそ、その地の「文化」と言えます。「100年変わらない風景」とは「100年守り続けた風景」なのです。つまり「100年変わらない」という言葉は、自虐(建前)と誇り(本音)との掛詞なのですね。この逆説に気付くことで、地域への敬意を意識化することができます。つまり異文化理解とは「矛盾を逆説として理解し、敬意を持つこと」が出発点だと思っています。
転職・移住をする人には
新しい職場・地域に入ると、マイナス点ばかりが目に付いたり、想像と異なることに戸惑うことが多いです。
周囲の人々の言動の矛盾に悩むことも多いでしょう。しかし、それを「矛盾」として捉えると、もっと苦しくなります。なぜなら、その文化の中で育った人にとっては「矛盾」ではないからです。となると、新規参入者としては矛盾を逆説と捉え、その深層にある知恵や価値を理解しようと心がける…、これが戸惑いや苦しさから逃れる発想です。矛盾を逆説として理解できれば、敬意を持つこともできます。敬意を持つことができれば、否定的な発想から離れ、肯定的に課題を解決することや、よそ者だから気付くことができる地域の魅力を言語化することも可能になります。新しい仕事は、こうして進み始めるのです。
矛盾を逆説として理解するのは、なかなか難しいです。
異文化理解に必要とされる「寛容」というマインドは、この難しさを超えるために必要なもの。そして「寛容」とは、時間が解決してくれるまで待つという心の余裕です。
というお話でした。最後までお読みいただき、ありがとうございます。