私より上の世代には、西欧コンプレックスがあります。
日本文化への劣等感と言うか、西欧文明の方がスゴイという思い込みと言うか、そういう価値観があるんですね。
◆作家「遠藤周作」のテーマ
遠藤周作の母は、熱心なカトリック教徒でした。ちなみに、遠藤周作の母は、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)出身のヴァイオリニストでもあります。
母の意志で5歳の時、洗礼を受けた遠藤周作は、大人になって悩みます。
日本人はキリスト教を理解できるのか、日本にキリスト教と言う宗教は合っているのかという疑問です。
◆音楽家「小澤征爾」のテーマ
齋藤秀雄の元で指揮を学んだ小澤征爾は、バイクでヨーロッパに旅立ちます。
そして、ブザンソン指揮者コンクールで優勝してデビューのきっかけをつかみます。
小澤征爾には留学経験がありません。そして、彼もまた日本人に西洋音楽は理解できるのかという命題を自分に課し、自分の人生を「日本人が西洋音楽を理解できるかどうかの実験」と表現します。
◆私が中学校の頃…
「オーケストラがやって来た」(山本直純)、「音楽の広場」(芥川也寸志)、「題名のない音楽会」(黛敏郎)という音楽番組が毎週あったのですよ。
この番組と「ブラームスの交響曲2番」でクラシック音楽に目覚めた私は、その世界にのめり込んでいきます。NHK交響楽団などの演奏会に足を運ぶことも。そして、様々な音楽評論に出会います。
その内容は「日本人のベートーヴェンの演奏は正しいのか」「日本人がモーツァルトを演奏するなら40歳を過ぎてからだ」というもの。当時「ボストン交響楽団」の音楽監督だった小澤征爾も、ボストンでベートーヴェン、モーツァルトを演奏すると、地元の音楽評論家に酷評されたという話も伝わってきます。
◆10代の私が刷り込まれたこと
日本人は西欧文化を理解できないらしい。それは、日本人が文化的に劣っているから。特に、キリスト教や西洋芸術を理解することはできない。
この考えを間違っている…と断言することはできません。しかし「優劣」を交えてしまったのは、明らかに間違いだったと思います。遠藤周作や小澤征爾は、自国の文化に理解と誇りを持っているからこそ、西欧文明に敬意を持ち、そこから「西欧の理解」という命題を持ったわけです。そこには「優劣」の感覚はありません。
しかし、「優劣」をキーワードとした一般論は、結果として西欧へのハードルを高くし、幻想の中の西欧に怯えることになります。
そして、そういう刷り込みの元になったのが、私より上の世代の価値観なんです。
◆彼らに西欧とのタフな交渉ができるのか?
自国の文化に誇りを持たず、西欧文明に劣等感を持つ世代が、オリンピックとは何かを理解し、IOCとのネゴシエーションができるのでしょうか(笑)。
かつて日本には「白洲次郎」という人がいました。今の日本にも、そういう人材はいると思います。民間にも、霞が関にも。でも「吉田茂」がいないんですね。
(いるのは岸信介の末裔と、人事権の行使で利権をむさぼる政治家のみ)
という明るくない話題ですいません。
さすがに、海外の友人たちも心配し、連絡をよこす段階になりました。
どうなるんでしょうね(笑)
