55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

スローな旅から帰宅

 

 昨晩は鳥取市に宿を取り、今朝7:30に出発しました。

 一般道のみで松本市の自宅まで戻れました。ちょうど12時間。

 ただし、途中2箇所、交通事故の長い渋滞がありましたので、それがなければ1時間くらいは短縮できたと思います。距離は約550㎞です。

 

 今回はこんな感じ 

 1日目 松本市(自宅)~尾道(高速利用)

 2日目 尾道安芸高田市関門海峡(高速利用)~大分県中津市

 3日目 中津市遠藤周作文学館~長崎県西海市(一般道のみ)

 4日目 西海市外海町山口県山口市(一般道のみ)

 5日目 山口市鳥取市(一般道のみ)

 6日目 鳥取市松本市(一般道のみ)

 

 宿代を貯まったポイントで補い、高速は土日割引を利用したことで、宿+高速+ガソリンを足しても5万円以内で収まりました。

 ハイブリッドカーの燃費の良さ(平均30㎞/ℓ)と、岐阜・佐賀・山口のガソリン価格の安さ(160~165円/ℓ)の賜物かと思います。ちなみに長野県エリアは180円です。

 

 結果的に、途中で思いついて長崎・遠藤周作文学館を訪問し、その作品のモデルとなった外海町を歩きましたが、それ以外は観光をすることもなく、ただひたすらドライブでした。

 往路は西に向かうので、桜が満開になっていきます。

 復路は東に向かうので、葉桜の九州から満開の松本に進むことになります。

 道中、名もなき町の桜を見ながら走るのはとても楽しかったです。こんな贅沢な花見をしてよいのかと罪悪感を感じるほど美しく、変化も大きかったです。

 

 スローライフという言葉がありますが、旅も「スロー」でいいんですね。

 非計画的に、無理のない距離で移動・宿泊し、見知らぬ風景を楽しむという。

 振り返って次回の教訓にしたいのは、どこかで連泊・運転しない日を作ること。

 今回だと長崎県西海市で2泊し、朝寝・昼寝・散歩でコンディション調整をすれば、もう少し長い日程になってもだいじょうぶでした。プランとしては鳥取から北陸(福井・石川)に進み、さらに新潟・山形と北上して東北で温泉・蕎麦もありでした。

 ただ、今朝起きてちょっとしんどさを感じました。というわけで、今日は帰宅して少し休んで出直しということに。

 

 明日は散歩しつつ、松本の桜を楽しみます。

早期退職したからできる旅の醍醐味を知る

          昨日泊まったホテルからの風景

 

 昨日は長崎県西海市に泊まり、遠藤周作文学館を訪ね、その後小説「沈黙」の舞台となった場所を歩きました。外海町周辺の隠れキリシタンの遺跡や、明治以降に建てられたカトリック教会を見て、いろいろ感じるところがありました。

 

 昨日は天気が良く海は穏やかで、険しい海岸線沿いにある道をドライブし、アップダウンの大きな集落を歩くだけでもとても気持ちがよかったです。遠藤周作はこの風景をみて「沈黙」を書こうという意欲が沸いたと言います。

 ただこの一帯は、キリスト教禁教令によって多くの人々が命を失ったり、信仰を守るために五島列島に移住したり、あるいは信仰を守るために檀家となり踏み絵を踏みつつ信仰を継続した場所でもあります。そういう厳しい現実があった場所にもかからわず、海と空は青く美しかったです。沈黙のテーマですね。

 また来たいと思います。その時は連泊で。

 

 その後、一気に山口県山口市まで移動しました。

 ここにはちょうど良い宿、安いガソリンスダンド・スーパーなどがあります。

 松本市からの距離は約1,000キロなので、ここで給油すればあとは無給油でも帰宅できますし、逆にここで給油してから九州に入るということもあります、いうなれば西日本・九州ドライブの補給地。この宿何度か利用していますが、顔を覚えてもらったのか、利用記録が残っているためか、部屋がシングルからダブルにグレードアップしていました。

 

 昨年はお仕事巡業・スランプ脱出の旅でした。それに比べると、今回の旅は解放感が圧倒的に高くとても楽しいです。持ってきた原稿も進みますし…やはりこういう旅をしないといけないですね。

 ちなみに、遠藤周作記念館や外海町キリシタン遺跡を訪ねてきた人は私よりも年長の方が多いです。ひょっとすると遠藤作品のファンだったり、カトリックを信仰している人なのかもしれません。ご夫婦で来ている方も多かったです。ちなみに、このあたりは交通の便が良いとは言えません。いろいろな要素・条件を考えると「退職×時間の自由を得たことで訪問できる場所」と言えるでしょう。

 言い換えると「早期退職したからできる旅」とも言えます。

 それが解放感を導くのかもしれません。

 

 というわけで、今日も安全運転で。

 

老後の生活設計におけるリスクとは??

 

 数年前、長崎県島原半島の先端にある口之津港に行った時の風景

 安土桃山時代、ヨーロッパからやってきたキリスト教の宣教師の多くは、ここから日本に上陸しました。そして港の近くに神学校(セミナリオ)を建て、日本人にキリスト教を教えました。この学校には西洋音楽の授業もあり、ここで学んだ日本人はリュート(ギターの原型となった楽器)やチェンバロに触れ、コーラスもしたそうです。人々は校舎から流れる西洋音楽を聴きながら農作業や漁網の手入れをしていたとか…。

 

 というわけで、旅の3日目は、大分県中津市から九州を横断して長崎県西海市に来ました。西海市の南に位置する「外海町」には遠藤周作文学館があります。

 外海町は、その代表作「沈黙」のモデルになった場所の一つ。作者が外海町に出会って沈黙という作品が産まれたといってもよいでしょう。今日は一日雨でした。明日は晴れとのことですので、小説沈黙の舞台を歩きたいと思います。

 

 さてさて、早期退職してから逃れられなかった思いに「なぜ定年まで勤めあげることができなかったのか」があります。コンプレックスと言ってもよいですね。

 しかし今になって思うのは、「早期退職を想定して40代から準備を進めていましたが、もし、準備なしで早期退職した時のような状況になっていたらどうしたか」です。

 その時家族が「余命宣告と認知症」という状況でした。当時私は仙台在住で、家族は東京在住。そんなわけで、私は週末を利用して定期的に東京に通う必要が生じました。時には平日に連絡がありどうしても東京にということもありました。

 今なら、家族優先という判断が組織としてできるでしょうし、リモートワークという手段もあります。しかし、当時は「直属の上司の価値観に振り回される」のが実態でした。「家族を犠牲にして仕事優先にするのが忠誠心であり美しい姿」という価値観の上司にあたった私は公務員を退職し、東京の企業へ転職しました。転職先の身分は介護の時間を確保するため「非正規雇用」、月給制の非常勤社員です。

 これが可能だったのは、一応資金が貯まっていたこと、生活サイズを縮小し非正規雇用の給与でも貯金を切り崩すことなく生活できたことが大きいです。

 

 もし、あの時公務員を辞めることができなかったらどうなっていたか…。

 定年まで勤めることを疑うことなく、そのための資金的な準備もなく、生活サイズも…という状況で辞める決断ができたか? 何の準備もない状況で辞めてしまった場合現在のような暮らしが可能だったか? 辞めずに今でも働いていたとして認知症の家族はどうなったのか? 

 とかいろいろ考えてみると、どう考えてもよい結論には至りません。

 変な話ですが、あの状況においては、公務員からの転職、そして早期退職が最もリスクが低い選択だったと言えます。リスクを低くできたのは、資金などの準備があったからですね…。

 

 そう考えると、転職・早期退職を想定した生活設計はとても大事。

 辞める決断を可能にするのは、「資金的な準備がある」「スキルや資格があって転職・再就職が可能な状況にある」ことが最低条件なわけで、スキルや資格はともかく、十分とは言えませんが資金的な準備があったのはよかったなと思います。

 定年まで勤務して退職金と年金で…という現行の老後モデルはリスクが高いのかもしれません。国より自分を信じた方がよさそう。

 

 そう考えるとこうなりますね

 ・現在働いている組織で定年まで働くつもりで頑張る

 ・投資や副業などの稼ぎを作っておく

 ・組織の外でも通用するスキルを身に付けておく

 ・住宅などのローンがある場合は、繰り上げ返済をして身軽になっておく

 ・給与が上がっても生活サイズは変えない

 なんとも夢のない、超現実的なことですが、これが生存戦略のような気がします。

 早期退職しろという意味ではありませんが、早期退職・転職を前提とした準備は進めていた方がよいということですね。

 転職・早期退職したことが最もリスクの低い選択だったと思えるようになったのは、ポジティブになってきたと言えます。

 ただ、早期退職・転職することでリスク回避になる組織や社会ってどうなんでしょうね…という根源的な疑問は残りますけど…。

努力で自分を使い果たさない(燃え尽き症候群)

 

 旅の二日目は、尾道市安芸高田市広島市関門海峡トンネルと進んで、現在大分県中津市にいます。から揚げおいしいです。

 写真は、安芸高田市が「無印良品」を誘致しようとした道の駅。

 残念ながら議会の同意を得ることができず廃案になってしまったという…。

 安芸高田市議会の様子はyoutubeで中継・公開されていて、ここから切り抜き動画なども作られています。動画は高校生が見ていて、いろいろ質問されることがあります。というわけで、現地を見てきました。いろいろわかったことは、また何かの機会で。

 

 さて、私には出世志向がありません。人事評価には「向上心にかける」といつも書かれていました。大学受験を例にとると、もう少し頑張ってもうワンランク上の大学を目指そう! という気持ちは弱いです。

 それよりも、自分の学びたい学問・専攻とその教授がいることが最優先。

 就職も同じ。給与よりもやりたい仕事。

 

 そんな私が教育部署に異動すると、いわゆる不登校(当時は登校拒否と言っていました)の担当となります。

 で、公立高校のデータを集めてみると、いわゆる「進学校」と言われる高校の方が、不登校出現率が高いんですね。各クラスに1~2名いるという学校も少なくない。偏差値が高い高校、地域の伝統校ほど多い。

 当時はまだ「学力が低い学校の方が多いはず」という先入観がありましたから、この調査結果に衝撃を受けた人も多かったです。しかし、私は何となくこの結果に共感という言葉は不適切ですが、何となくわかる気がしました。

 

 当時の仮説は2つ。

1、小中学校と成績優秀で、そのまま地域のトップ進学校に進む。

 頭が良かったためほとんど勉強することなく定期テストは上位となり、勧められるままにトップ進学校に合格した。しかし、さすがに高校では勉強せずに上位にはなれず、では勉強しようと思っても勉強したことがないからどう勉強すればわからないというケース

 

2,トップ進学校は無理と言われながらも無事合格する。

 普通の成績であったがある日突然「トップ高校」に行きたいと宣言し、ものすごい勉強を始める。成績は徐々に上がっていったがトップ高校合格にはまだ差がある。模試の判定も低い。それでも努力を続けて大逆転合格を勝ち取るというケース。

 

 問題は「2」です。

 いわゆる「燃え尽き症候群」です。そして、この傷は結構深い。

 努力とは、才能を磨くためにするものです。

 しかし、「2」の努力は、才能を摩耗・消費させてしまったんですね。

 偏差値的な価値を高める努力をすることで、自分を使い果たしてしまったという…。

 偏差値的な価値ではなく、自分のやりたいこと、できることを見つけ、その能力を磨くためにふさわしい高校はどこか…に努力してくれればと思うのですが…そうではなかったのですね。

 より偏差値の高い学校を目指して努力して合格したというのは美談ではありますが、その裏で自分の才能を使い果たしてしまうことがあります。これは最近中学受験の現場で言われていますね。「公立より私立」が主たる目的で勉強・努力して合格しても、その中学生活は本人も保護者が夢見たものにならないのです。

 

 努力は才能を磨くもの。

 自己の才能に気づかぬままに努力をすると、その努力が負荷となって気づかぬままに自己の才能を摩耗させてしまうこと。

 だから、先に才能・希望・適性に気づくこと。それを踏まえて努力の方向性・負荷のかけ方・磨き方を工夫すること。

 早期退職生活の不安や課題も、対処療法ではなく体質改善による根治が大切。

 今回の旅がすでに楽しいのは、「車で遠くに行く」という目的を自覚して実行しているからかもしれません。

 さて、明日はどこに??

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと旅に出る 1日目

 

 先ほど尾道に着きました、約530㎞の移動。

 久しぶりの晴天の空を見て朝7時に家を出発。一般道(木曽街道)を名古屋市内まで下って給油し(165円/ℓ)、小牧ICから高速に乗って到着。土日は3割引きなので、高速料金は約6,500円。平日だと9,000円越えなので助かります。

 

 出発前、東北方面に行くか、西日本を目指すか迷いました。

 松本市から西日本に向かうには、岐阜・名古屋、京都・大阪・神戸などの市街地を通過する必要があります。ここで渋滞・タイムロスがあるので、一般道のみだとあんまり遠くにはいけません。

 しかし、土曜日出発であれば高速の週末割引が使えます。これで市街地ワープすれば距離を稼げます。というわけで尾道に向かいました。宿は途中で予約。

 車は、1月に車検整備をしてその後あまり乗っていません。そんなわけで快調。途中満開の桜を見ながらのドライブはなかなか楽しかったです。危ない思いをすることもなく、高速ではアクティブクルーズに任せて楽もできました。

 

 明日以降の予定は決めていません。考えられるのは以下。

 1 しまなみ海道で四国に渡る

 2 出雲・松江方面に進む

 3 思い切って九州上陸

 どうするかは明日の気分しだいで。

 

 昨春は、スランプ脱出のための気分転換と思って旅に出て全然書けませんでした。

 昨秋は お仕事での九州がありました。

 今回は、昨年一年頑張ったご褒美ですかね。

 スランプもお仕事もない自由な旅ができそう。とはいえ、実はお仕事持参しています。これから取り掛かりますが、運転しながら頭の中では書きあがっていますので、1時間ちょっと集中すればだいじょうぶ。

 

 まぁ、昨年はお仕事頑張りましたし、収入も増えました。

 納税額もぐっと増えたのですが、少しは自分のために使いたいと思います。

 

早期退職後の人生の再生にかかる時間(早期退職5年目のはじまりに)

           AIに描いてもらった春の風景

 

 早期退職して、この4月で5年目に入りました。

 暮らし、気持ち、経済などなどやっと落ち着いたという感じです。

 4年もかかったのは早期退職前の想定がまったく通用しなかったこと。

 コロナ・円安・物価上昇の三大話です。

 

 たとえば、高校を中退したとしましょう。その後は通信制の高校に転校する、高卒認定を取って就職する・進学するなどのルートが考えられます。こうしたルートにすぐ乗れる中退者は約80%というデータがあります。フリースクール的要素を持ち、サポート能力の高い通信制高校や教育系NPO団体が増えてきたことが大きいです。

 問題は、ルートに乗れず引きこもり状態になってしまう20%です。

 本人が支援を求めない・受付けない、社会的な支援が届かないという状況から、社会復帰・自立に進むまでにはかなり長い時間が必要となります。私がそういう業務を担当していた頃のデータでは、平均で約10年。

 高校中退だけでなく、大学中退や中途退社でもこの傾向は同じ。

 問題は、大学中退・中途退社の方がサポートやリカバリールートが弱いこと。

 あることはあるのですが情報が少ない。本人が取りにいかないと、サポートの存在に気づけない、受けれない、活用できないという状況です。そのため孤立しやすく、復帰まで長い時間がかかるケースが多いです。

 

 私の早期退職はいわゆるFireではありません。

 早期退職後の収入のあてはないままに仕事を辞めました。

 正確に言えば、何となくあてにしていたことはありましたが、コロナでそれどころではなくなりました。55歳で早期退職し60歳から年金受給を受けたとしても、80歳前後には老後破産という試算結果もありました。

 そこから、自立・再生するまで4年ということですね。

 かつては不登校・中退・中途退社の支援側にいました。しかし、早期退職×ルートから外れてみると、つまり当事者になってみるといろいろ思うことが多いです。

 ああ、こういうつらさなんだな…ですね。

 ちょっとそういう気持ちを噛みしめてみようと思う今日この頃です。

新年度も浮かれることなく節約を意識して(早期退職生活の戒め)

 写真と違い、本日の松本は曇り。冴えない天気です。

 

 年度初めのためか、規約改正などのメールがいろいろ入ります。

 電気料金は基本料が少し上がり、使用料金が少し下がる。

 ネット銀行の金利は、現行の0.2%から0.33%に上がる。

 金利が上がるのはうれしいです。年間にすると結構な金額です。ただ、5月から電気料金などの支援策が終了しますから、その分の補填で終わるかも…。少し前ゴールドカードにしましたが、それに伴う特典(ポイント3倍とか)も物価上昇分などに吸い取られるだけになるかもしれません。

 

 浮かれるなということでしょうね。

 

 新年度からは「金利が上がる」「配当金が入る」「ポイントが増える」という状況になります。でも「生活サイズを大きくするな」「節約できる箇所を探せ」「一生懸命仕事しろ」ということだと思います。

 昨年秋ごろから、早期退職資金の減少が止まったのは事実ですが、その要因は「大型出費」がなかったこと。

 先月契約した自動車保険の引き落としがあった今月は、すでに「前月比マイナス」。これから国民年金・国民保険、各種税金を支払いが続きますから、しばらく「前月比マイナス」が続くでしょう。

 

 と書いているうちに、2件お仕事が決まりました。ありがたい。

 午後は散歩で心身を整えます。