55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

明日できることは今日するな(早期退職生活のQOL)

 

 そろそろノーマルタイヤでロングドライブしても大丈夫になってきました。

 今日からどこかにと思っていたのですが、目覚めると朝の松本は雨。

 行先と考えていた地域は大雨。朝から津波警報…。

 宿も明日あたりまでが空室が少なく価格も高い。

 

 こういう時は、諦めと切り替えとが重要。

 とりあえず、来週〆切の原稿に朝から取り掛かったのですが、何だか調子が良く、先ほど完成してしまいました。

 ロングドライブは、天候の回復を待ってですね。

 

 さてさて、沖縄で地震津波というイメージは弱いです。ちなみに、1960年のチリ地震津波による被害はあって、沖縄北部には学校の校舎が流されたなどの記録があります。

 在沖時、「防災×東日本大震災のことを」という機会を何度かいただきましたが、基本的には「沖縄に地震はないし津波も来ない」と考えている方が多かったです。

 ただ、町の中心部の標高は低く、津波が発生した場合水没するエリアに役所・学校があります。また、三陸と同じリアス式海岸ですから、沖縄でも津波が平地を駆け抜ける、もしくは丘を駆け上る可能性が高い。「もし…」の時のリスクは高いのです。

 幸い、津波は大きなものではなかったようですし、人々も避難行動をとってくれたようです。よかったです。あとは、台湾と能登への支援ですね。

 

 早期退職生活のよいところは、「今日じゃないといけない理由」がないこと。

 「明日できることは今日するな」の実践が、心身の安定の秘訣と言えるでしょう。

 この際、「明日できることならいつでもよい」という堕落生活に徹しようと思います。それが、生活と原稿の質を高めるようです。

 とりあえず、少し遅めの昼寝かな。

3月の水道光熱費(2024.3)

 2024年3月の水道光熱費

 ①水道    490円(今月は上水道、物価高騰対策による減免措置の最終回です)

 ②ガス 1,442円(使用量は4㎥)

 ③電気 5,560円(使用量は193.50kwH)

 ④灯油 3,000円(3月は金額指定で購入しました)

 ⑤合計  10,492円(電気+灯油で8,560円) 

 

 ちょっと多かったですね。原因は3月の寒さ…。

 今冬の松本は、気温ベースでみると「暖冬」ですが、積雪量だと「10年に1度の雪の量」だったとか。3月になっても何度か雪が積もり、寒い日が続きました。

 そんなわけで、電気料金も含めた暖房費は2月とあまり変わりません。

 この結果を心にとめて今月も節約に励もうと思います。

 

 今年の7月からお札のデザインがかわるとか。

 1万円のことを「聖徳太子」「福沢さん」と表現していたのは遥か昔。

 で、それぞれの紙幣のデザインは誰か…と問われると答えられません。わからないとお馬鹿認定されそうですが、本当にわかりません。「紙幣・貨幣」を使わない・触れることのない暮らしになると、紙幣のデザインに興味がなくなるんですね。

 クレジットと電子マネーの暮らしに慣れると、紙幣・貨幣のない世界になればいいなとか思います。少し前、結婚式のご招待をいただいたのですが、それはこんな感じ。

 1 メールでお知らせが届く

 2 メールに記されたアドレスから結婚式のHPに飛ぶ

 3 参加の可否、ご祝儀などはHPから

   ご祝儀はクレジット・電子マネーで事前支払い。

   式の翌日以降に「引き出物」が宅急便で届く(時間指定可能)

 というわけで、当日は手ぶらで参加・帰宅が可能。

 ちなみに2次会のページもあって参加の可否・会費の支払いもここから。また、有志による「当日参加できないがお祝いだけは送りたい人募集」のページもありまして、私はこちらに参加しました。すると、結婚式・披露宴のライブ配信アドレスが送られてきました。

 個人的にはこういう方が好きです。何より防犯性が高く、金銭的なトラブル予防にもなるはず。そして式が終わってもHPは残っていて、キーを知っている同士のコニュニティーにもなっています。すばらしい。

 

 ちなみに、スーパーのレジは「セルフ派」です。

 現金・対面が減ることで、個人的には「生きやすい世の中」になってくるようでうれしい今日この頃です。

 

 

早期退職5年目の初日はとても穏やかです

 

 年度初めの今日は、早期退職5年目の朝です。

 というか年度初めが月曜日なんですね。いわゆる会社勤めの人にとっては長い一週間になる」と思います。ペース配分が難しいですね。

 

 さてさて、年度末には「退職することになりました。」という連絡をたくさんいただきました。定年退職は一人もいません。みなさん、早期退職からの転職、契約期間を残して後任に席を譲ってフリーへというもの。

 共通するのは、かつての私と同じ「転職組」であること。

 転職して5年、10年とキリのよい年数であること。

 転職先でやることはだいたい達成し、次のステージに進むこと。

 それにしても、この人抜けたらその会社大丈夫かな…というくらいのキーマンの退職・転職が多いです。ここから先は私の主観ですが、その人を迎えて大きな組織改革を成し遂げ、倒産や統合の危機を回避するだけでなく、業界のトップになるまで業績を高めたというのが外部からの評価になります。

 ただ、個人の能力に頼った改革は社内的には逆風を受けることも多く、その人の心身をすり減らすこともあります。実際、最後の1年は入退院の繰り返しという方も複数います。いろいろ限界なのかもしれません。一方で、もう個人ではなく、組織でよい方向に動けるようになったり、後任が育ってきたりという成果もあります。自分の存在が組織の成長の阻害要因になる可能性もあるでしょう。であればという印象を受けました。

 ちなみに、今回の転職連絡は民間企業の方ばかりです。

 公務員仲間の退職・転職はありません。優秀な人材の流出傾向が止まったのかな??

 もしそうであれば、日本の未来は明るいと言えます。はい。

 

 私は、のんびりと5年目の朝を迎えています。

 記念日反応という言葉があって、私の場合東日本大震災の日が近づくと心身が不安定になります。その時のいろいろがよみがえるのです。

 年度末・年度初めも私にとっては(あまりうれしくない)記念日でした。

 思い出すのは、東京から地方への転勤になると「左遷おめでとう」とわざわざ言いに来る人のことや、地方から東京への異動になると「結局東京に戻るんだね、裏切りだね」と絡んでくる人のこと。転勤・異動を「出世・昇格・左遷」と結びつけてしか考えられない人から、そういう価値観を浴びる時間はとても憂鬱でした。そして、早期退職しても記念日にはそういうことを思い出し憂鬱になることも…(あの時、言い返して黙らせておけばよかったという後悔も含め)。

 しかし、今年はそういう反応が弱いです。

 昔のあまり思い出したくない記憶、学びにならない体験を「どうでもいよいこと、価値のないもの」として割り切るようになったのかもです。

 

 早期退職してよかったな、そしてだいぶ楽になったなと思います。

 早期退職直後に入院したり、痛風になったりもしました。しかし少し前、内臓数値が正常圏内に戻り、よくない記念日反応も弱まってきました。

 早期退職前の想定とはちょっと異なりますけど、理想の早期退職生活に進みつつあるような気がします。

 そんなわけで、今日は桜を探しにと思います。

 久しぶりにいい天気です。

 

 

  

早期退職4年目の終わりの心境その3(罪悪感を手放す)

 

 それなりの準備と心構えをして早期退職したのですが、いざ仕事を辞めてみると落ち着かない気持ちになることが多かったです。

 2月に大型船の中でコロナが広がり、3月にはマスクをする人が増え、3月末に早期退職するとその翌週には自粛期間に入りました。オリンピックも延期。そんな中私は失業給付金をもらいながら自宅でのうのうとしているわけで、その時の心境は複雑。こういう時に退職した幸運と、苦労している昔の同僚に申し訳ない気持ちとが同居します。

 早期退職しようと考えて準備を進めてはいましたが、50歳を過ぎて公務員から民間に転職した時、「60歳まで働くという人生デザインの更新」もできればという考えがありました。しかし、それは計画倒れに終わったわけで、そうなると「定年まで働けなかった脱落者」というネガティブな気持ちが強くなります。さらに長野県松本市への移住を果たすと、東日本大震災の復興から目を背けて逃げたという思いも浮かびます。

 現役時代は、少子高齢化社会の課題解決に取り組んできましたが、気が付けば私自身が「高齢者=課題」になっています。高齢者を軽んじたことも不利になるような解決策を作ったこともないですが、巨大ブーメランが返ってきたようで落ち込みます。

 現役時代、お仕事や研究を通じてそれなりに身に付けてきたスキルもあるのですが、早期退職するとさび付いてしまうことも怖かったです。新型コロナの出現によって社会システムは大きく変化し、未来に向かっての更新が進みました。それに取り残されるという恐怖です。

 

 で、4年目の終わりを迎え、上に記したネガティブな心境を受け容れ手放すという心境まできました。

 公務員時代「自分が幸せになることに罪悪感」を抱くようになりした。「公務員の不幸が市民の幸福」と自分に言い聞かせて(あるいはいろんな人に言われ)自己犠牲に励んだ時期もあります。どう考えてもあなたの過失と思われることでも、私は公務員だから公務員である私の過失と思って対応していました。そういう価値観に支配されていたんですね。自分を「減点法で評価」していたのです。

 しかし、松本に移住して信州の自然に触れる日常を送っているうち、減点法の意味のなさを再認識しました。そもそも自然は厳しいもの、夏は暑いもの、冬は寒いものです。でもそれが四季の変化の豊かさであり、桜の美しさであり、紅葉が心に染みる理由なんですね。そうなると早期退職×松本生活でも、東北の復興を支えること、仕事のスキルを保つこと、新たな学びを得ること、昔の同僚の愚痴につきあうことは可能であることに気づけました。

 

 自分で自分のご機嫌を取り、自分の幸福実現を目指すことの方が社会的にもよいですよね。機嫌が悪く、私は不幸なんだと言い続け、幸福になるのはいけないことなんだと思い込んでいる高齢者は、どう考えても社会を悪い方向に導きます。その負のエネルギーはブラックホールとなって周囲の人も不幸にするでしょう。

 

 ではどうやって幸福になるかですが、現役時代はやはりお仕事・業務で社会課題を解決し、市民が幸福になることが(おこがましいですが)自分の幸福でした。

 でも、お仕事から離れた今、社会課題の解決に関わることはできません。原稿書きのお仕事をしていますが、それによって誰かが幸福になる瞬間を共有することはできません、在宅ワークですからね。

 というわけで、お仕事的なもので社会にコミットするのは無理。

 であれば、もっと自分の世界を充実させればよい。

 本を読む、音楽を聴く、旅に出る、食べ歩きをする…です。

 

 早期退職5年目は、好きなことを満足するまでと思います。

 そのことに罪悪感は不要。早期退職しても公的な支援や減免を受けることなく、所得税まで納めて国民の義務は果たしています。来月から始まる納税も、予想金額分は稼いで貯めています。

 というわけで、罪悪感を手放します。

 来週、本と仕事とを持って旅に出ようとも思います。

 早期退職5周年記念の貧乏旅行、さてどこに行こうか…。

早期退職4年目の終わりの心境その2(今後の基本方針)

 

 昭和の教育を受けていますから、「夢を持つこと」「社会や人の役に立つこと」「自己犠牲の美しさ」みたいな価値観を後天的に刷り込まれています。

 「あきらめること」「何の役にも立たない人間になること」「他者を犠牲にして自分の利益を守ること」は、唾棄すべき行為と言えるでしょう。

 

 ただ、元公務員で間もなく還暦を迎える自宅で細々とリモートワークしている人間が、「松本市民の役に立ちたい!」「私にも昔から夢があってそれをここでかなえたい」といって行動を起こしたとします。役に立つでしょうか?

 

 「何の役にも立っていない」ということは、かつて悪でした。

 生活保護の申請にきた方が「本当に申し訳ない、すいません、お許しください、できだけ早く何とかしますから」と何度も繰り返す姿を見て、これは国民の権利なんですから堂々ともらってください。時間はかかってもよいのでしっかり治して、元の生活に戻れるようにしましょうと伝えていました。

 早期退職=無職になって、失業給付金の手続きをしているときその人の気持ちを我がこととして理解できました。非課税世帯となって税金などの減免対象になった時、うれしい助かるという思いと同時に、罪悪感もありました。所得はないけど資産はあるわけで…。 

 しかし、「何の役に立っていないこと」が、「若者の行動の邪魔をしないこと、世の中の変化の妨げにならないこと、国家財政の世話にならないこと」であるならば、むしろ「おとなしくじっとしていること」が最大の貢献ではないか…というのが現在地です。

 

 地域おこし協力隊として移住して、移住先でビジネスを起こして地域貢献できた! と思ったら、移住先の長老が出てきて…というトラブルがあります。長老にも、長老なりの地元愛があり使命感があり役に立ちたいという意欲があるんです。でも、長老の地元愛や意欲はむしろ害なんですね。強い地元愛や使命感は、恫喝・ハラスメントとなり、地域の衰退を招き、晩節を汚すことになります。

 

 頼まれた原稿を書き、きちんと納税する。

 また、延命治療はしない、余命宣告をうけたら治療ではなく緩和ケアということで妻とは同意しています。これから取り掛かろうと思っているのは相続のこと。早めにこの世を去ることになれば、一応数千万単位のお金が残ります。これを、私が応援している教育支援団体に譲り、勉強したい、大学に行きたいという若者への経済的支援にしたいのです。

 

 何の役に立たなくてもよい、そのことに罪悪感を抱かなくてよい。

 その代わりと言っては何ですが、健康を維持して医療費補助を受けないこと、無計画な生活をして資産を溶かして生活保護にならない、こと。

 一言でいえば「年をとっても自立した生活をする=現役世代の負担にならないように暮らす」です。

 

 老兵は消え去るのみ。

 消え去ることが貢献、夢を持たないこと・役に立たないことが正解。

 昭和の罪悪感は捨て去るのみですね。

  

 

 

早期退職4年目の終わりの心境その1(いろいろあるけど、やっぱり早期退職してよかった)

 

 公務員を早期退職して民間に転職したのも、転職した民間を退職して無職になったのも年度末。民間を退職して「早期退職×無職」になり、現在に至ります。

 人よりも得をしているとすると、公務員は50代前半の勧奨退職でしたから、退職金に少し色がついていたこと。その後民間勤務を経ての無職になったので失業給付金の受給ができたことですかね。

 あとは、早期退職×無職になった翌年1月から原稿書きのお仕事を得たこと。

 個人営業主なので定年はないです。明日契約を切られる可能性もありますが、60歳以降も継続できるのはありがたいです。

 ただ、公務員で60歳定年まで勤務していた場合の方が所得は圧倒的に上です。

 これはもう、経済的安定を取るか、自由を取るかのトレードオフですね。

 

 というわけで、年度末になって何となく感慨深いものがあります。

 4年間生き延びました。

 早期退職前の想定では、4年後も無職×賃貸で資金を1000万円以上減らし、還暦と同時に年金受給という想定でした。賃貸のままだと資金はもっと減っていたでしょう。

 実際には中古マンション購入で1000万円以上使っていますから、残り資金は賃貸継続でもあまり変わらなかったかもしれません。ただ、家賃より管理費などの方が安く、プロパンから都市ガスになり、生活利便性も高まったことで支出はかなり抑えることができました。お仕事の稼ぎもあってか、昨年後半から資金源が止まったのはかなり安心。60歳から年金受給しなくても大丈夫という状況は、老後破産という不安の解消になりました。

 そもそも、この年齢×無職で賃貸の更新ができたか…ですね。

 ネットで調べると、家具家電付き・保証人不要・年齢不問という物件はあります。

 ありますが、条件を緩くしてでも入居して欲しい物件が多いという印象を受けます。松本にもありますが冬は寒いだろうな…という。また、家賃は安くても保証金などの経費が結構します。そんなこんなを考えると持ち家の方が楽というのが現時点の心境です。

 

 早期退職してから始めたことを書き出すとこんな感じ

 ・数学を中学レベルからやり直す(現在は微分積分

 ・ファイナルプランナー3級の勉強(お金の勉強)

 ・投資(為替と株)、ネット銀行の活用

 ・スマホデビュー(携帯とi-padでした)

 ・原稿書きのお仕事

 ・このブログ 

 ・漬物作り、自家製味噌作り、玄米食

 思うのは、こういうことを「現役時代」からコツコツと進めていれば、逆に「早期退職せずに定年まで勤めあげることができた」か、「早期退職生活をもう少し早く軌道に乗せることができた」のではないかということ。

 そういえば、2年前痛風になりました。その時は「玄米が原因」と思いましたが、本当は「早期退職生活に対する不安・ストレス」だったのかもしれません。昨年後半から玄米生活を再開しましたが痛風は出ません。暮らしと経済とが落ち着いたら内臓数値も落ち着きました。

 

 早期退職生活4年目の終わりに感じるのは、不安4:自由:6まできたということ。

 経済的不安はありますが、それより自由・幸福の方が上回ることが増えてきました。

 いろいろあるけど、やっぱりあの時早期退職してよかったとしみじみ思う今日この頃です。

 

+1844から始まる電話番号は詐欺?

 スマホから着信音が流れました。

 ええと、メール・SNSが中心で、電話を使う機会はほぼありません。

  

 画面を見るとよくわからない番号で、「?」と思っているうちにあっさり切れました。

 残った履歴は「+1844-××××-××××」、再び?です。

 

 国内でも携帯でもないわけで、不審に思って検索すると出ました。

 詐欺電話らしいです。海外からかけてきて、ネット利用に不正があってお金を払えとかそういうことを言われるそうです。その際、本人確認をさせてくださいと言って、住所などの情報も求められるとか。

 

 この手の詐欺が巧妙になっているのは聞きます。そして、とはいえ、どこかで詐欺ってわかるだろう…という気持ちはあります。しかし、ひとつ学んだこと。

 この電話がかかってきたのは午後ですが、午前中にこんなことがありました。

 1,書き上げた原稿を提出した

 2,通院日のリスケをした

 着信があった時、「原稿やばかったか」「リスケした日程に何かあったか」と思いました。それだとすぐ出ないとまずいです。

 

 知らない番号は出ないのですが、それでも「電話がかかってくる心当たりのある時」は出そうになります。ということで、普段は警戒している人でもやられてしまうのは、心当たりのある時に絶妙のタイミングでかかってくる瞬間なのかもしれないということを実体験として学びました。

 今回は「あっさり切れてくれたこと」「+1844という不可解な番号」だったことで回避できましたが、そうでなけばあぶなかったかもしれません。

 

 この先、体力・知力は低下するだけ。そうなると「頭だけでわかっていること」は実践できない可能性が高い…。今のうちに、いろいろ体験した学ぶ方がよいでしょう。そう考えると、組織から離れ、「個人で暮らすために必要な手続き、制度、リスク」を還暦以前に実体験できたのはよかったかもと思います。

 もちろん失敗から学ぶことの大切さもわかっていますが、そろそろリカバリーがしんどいです。経済的損失は特に…。

 というわけで、これも「知識と体験との統合による学び」というオチで。

 

 皆様も、詐欺電話などには十分なご注意を。