55歳で退職したおじさんのブログ

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山月記(中島敦)を読み直す(その1)

テーマ「読書記録」

 昨日「12月4日」は、中島敦の命日。 

   出会いは「山月記」。

 「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」という言葉が印象に残っています。

 今回は「山月記」の個人的珍解釈を、2回にわけて

◆目次

作品の前提

冒頭で示される「李徴」の公式プロフィール

 幼い頃から学問に長け、若くして科挙を突破した秀才李徴。

 赴任先の江南で尉(警察と裁判所を足したような役)となるも、尖った性格で、自分の力で仕事を進め、賤吏に甘んじることを受け容れることができない。下吏として俗悪な代官にひれ伏して仕えるならば…と思った李徴は官吏を辞め、詩人となって名を後世に残そうとする。

 しかし、詩家としては成功せず、自らの詩業への絶望と家族の生活のために「地方官吏」に戻る。それは、自分より能力が低いかつての同輩の命に従う生活。

 李徴の自尊心は傷つき、ある日発狂して失踪する。

 

このプロフィールの真相が、後半「袁傪」との再会の場で告白される

 自分が虎になったこと。

 徐々に人間としての理性が失われつつあり、完全に虎になる日が近づいていること。

 「尊大な羞恥心」を「臆病な自尊心」が太らせたことで、虎になったと考えていること。

 才能の不足の暴露をおそれる卑怯な危惧と、師に就いたり詩友と切磋琢磨して刻苦することを厭う怠惰が、自分の全てに過ぎなかったのではないかと考えていること。

 

作品の背景

唐の宗家の一つ「李家」がある

 李徴は「唐の建国に功のあった家柄の出身(李家)」かもしれません。

 そんな李徴が誕生し、科挙に合格したのは唐代の末期。

 玄宗皇帝は楊貴妃に溺れ、政治が乱れ、安禄山が反乱を起こしています。

 李家に産まれ、学問に長け、おそらく最年少で科挙に一発合格した李徴のモチベーションは「唐の再興」であり、科挙に合格したら「中央官庁」に勤務することを自らの使命と考えていたかもしれません。

 

江南尉は李徴にとって本意ではなかった?

 当時の官僚制度で「尉」に就くことはエリートコースでした。

 しかし「江南」は、中央から距離があり、李徴しては心外だったと思います。

 それでも江南に赴任したのはなぜか??

 江南は六朝時代、政治・文化の中心地であり、李白杜甫・白楽天らが長江を下ってこの地に遊び、人々と言葉を交わし、その自然や名勝を詩に詠んだ地です。

 詩作を志す者にとっては憧れの地ですね。

 李徴は、想定外だった江南赴任にあたり、先人の詩を詠み直し、江南への憧れを育てて自分を納得させた可能性は高いと思います。

 

李徴が役人を辞めた理由

「賤吏」という言葉の解釈

 「賤吏」とは「身分が低い官吏」が一般的な意味。

 李徴にとって「江南への赴任」は左遷。そこで自らを「賤吏」と自嘲したという解釈です。

 「賤吏」にはもう一つ解釈があります。

 科挙最年少合格者である李徴からすれば、江南の官吏たちは、すべて自分より年上ですが、自分より能力が劣る人々。李徴にとって尊敬すべき人、ロールモデルになる上司はいなかったようです。

 加えて、唐代末期で玄宗皇帝は堕落し、政治は乱れています。

 私腹を肥やす、上司に媚びて出世を勝ち取るなど、官吏の世界は賄賂と追従に満ちていたかもしれません。

 それは、唐の再興を使命とする李徴には受け入れ難い現実だったと思います。

 

李徴に与えられた選択

 自分は賄賂と追従で出世し、俗世間的な欲望を満たすような「賤吏(卑しい官吏)」にはなりたくない。

 しかし、自分の人事は俗悪な上司が握っており、江南から出るためには賄賂や追従で取り入ること(賤吏になること)が必要。

 李徴が出した結論は、「賤吏に甘んじるを潔しとせず」退職することでした。

 

ここまでのまとめ(李徴が官吏を辞めた理由)

1、李徴は「唐の宗家」の一つ「李家」の出身である

2、玄宗皇帝が楊貴妃に溺れ、政治が乱れ、安禄山が反乱を起こしていた時期に

  官吏となった李徴は、唐の再興を自らの使命として考えていた。

3、自他ともに認めるエリートであり、唐の再興という使命感を抱く李徴にとって

  「江南尉」に命じられたことは、かなり心外であった。

4、赴任先の江南で李徴が見たのは、

  かつての政治・文化の中心地としての江南ではなく、

  腐敗した政治と私利を優先する俗悪な上司たちであり、

  ここで自らも「賤吏」に甘んじることに耐えることはできなかった。 

 

 李徴を「意識高い系のこじらせ男」と表現する人もいます。

 否定はしません(笑)。

 でも、李徴は「駄馬」ではありません。

 李徴は「世間知らずなサラブレッド」。

 もし「伯楽」との出会いがあれば李徴は…と思います。