
共通テスト「現代文」で、遠藤周作氏の作品が問題文になっていました。
作品は、遠藤氏の生前に発表されたものではありません。遠藤家から遠藤周作文化館に寄贈された多数の原稿・資料の中から発表されたもの。2020年に新潮社から出版されています。
その作品に、遠藤氏の母が登場します。遠藤郁さん(旧姓竹井郁)です。
岡山県の出身で、岡山高等女学校から東京音楽大学(現在の東京藝術大学)のヴァイオリン科に進んでいます。ちなみに、岡山高等女学校の後輩に陸上の「人見絹代」、美容師の「吉行あぐり」がいます(人見と吉行とは高女で同級生)。
在学時期は重なっていないと思いますが、二人とも、女学校から東京音楽学校に進んだ先輩の存在は知っていたでしょう。女性が学問をすることに否定的な時代ですから、自分の道を歩んだ先達の一人という認識はあったかもしれません。
この岡山高等女学校は、後の学制改革で、旧制岡山第二中学校と統合し「岡山県立岡山操山高等学校」となって現在に至ります。その「旧制岡山第二中学校」の卒業生に、柴田錬三郎氏がいます。
遠藤周作氏は、文壇の先輩として柴田錬三郎氏、第三の新人の同期として吉行淳之介氏と深い親交がありました。柴田氏は母の母校の後輩、吉行氏は母の母校の後輩の息子という関係性になります。このお二方との関係性がどこから来たかは謎だったのですが、案外こういうことがきっかけだったのかもしれません。
遠藤郁さんは、東京音楽学校ヴァイオリン科時代に学生結婚をします。
夫は東京帝国大学法科の学生さん。鳥取県の名家で医師の家系です。遠藤郁さんも、医師の家系でしたから、二人の結婚は家柄的には釣り合っていたでしょう。ただ、いろいろ調べると、それぞれの両親からはあまり歓迎されていなかったのではないかという疑問が涌きます。
結婚後、長男、次男(遠藤周作氏)を出産し、夫の転勤で大連に移り住みます。結婚~出産~夫の転勤という流れの中で、ヴァイオリン奏者として生きる道は、徐々に閉ざされていったとも感じます。
ここから先は想像です。
遠藤郁さんは東京音楽学校で、日本の女性ヴァイオリン奏者としては第一人者である「安藤幸さん(幸田露伴の妹)」、名教師と言われた「モギレフスキー」に師事していました。これは、当時の日本の楽壇では最高の教育環境です。たれ・ればですが、ヴァイオリン奏者として活動すれば、日本の音楽史に名前が残る存在になった可能性は高いです。しかし、学生結婚をしたわけで、となると「音楽を取るか、結婚するか」という選択を迫られた可能性があります。その段階で、ヴァイオリンは諦めざるを得なかったのかもしれません(公的な年譜には「恋愛結婚」と記されています)。
また、遠藤郁さんは大連で離婚し、子供二人を連れて帰国し、カトリック系女学校の音楽の先生になります。ただ、主に声楽や宗教音楽の研究をしていたという記録があり、ヴァイオリンはあまり…のようです。
改めて、遠藤氏の作品と、郁さんの経歴を見直したのですが、遠藤郁さんの経歴についてはあまり詳細な記録が残っていません。もちろん個人情報ですから詮索はご法度なのですが、ただ、封建的価値観の強い時代に、自立した女性として生きた人というイメージが残ります。もう少し遅く生まれていたらと…ですね。この点は女学校の後輩である人見絹代と重なります。
岡山高等女学校は、日本の歴史に残る「陸上選手、美容師」を残しています。
ここに「女性ヴァイオリン奏者」も加わったはずというたら・れば。
ちなみに、遠藤郁さんの孫が、フジテレビ社長などを勤めた「遠藤龍之介」さんです。ただ、遠藤龍之介さんは、遠藤郁さんが亡くなって2年後に生まれています。
そんなことを調べて、共通テスト現代文の解説原稿とエッセイを書きました。
そんな日々です。