
サラリーマン家庭で育てば、自分が会社員になるということは自明のことというか、それを疑うことはないですね。
自営のイメージは、医師・弁護士・会計士などの資格を持っているとか、家業の商売を継いでいるというもので、私には縁のないものという認識でした。
音楽とスポーツとかの特殊な才能もなく、学問の世界にも行けず、アルバイトで少し除いた予備校講師の世界の過酷さも知り、個人で稼ぐ・生きていくことは私にできないと思っていました。
そういう人間が、早期退職×無職になり、無償ボランティアに招かれ、そこから原稿料を貰う暮らしになりました。
これを目指していたわけでもなく、願ったわけでもありません。
気が付けば、PCとネットとがあればどこでもできる仕事×個人営業になっていました。青色申告で節税まで。
サラリーマンから始まった人間が個人営業に転じたということは、私のキャリアはここが終点ですね。ここから組織に所属することはないですし、他に稼ぐ手段があるわけでもありません。稼ぎは減ることもあっても、増えるということはないでしょう。
そう考えると、そしてこの事実に気づくと、ちょっと感慨深い。
私の世代では、「キャリア形成」という発想はまだ一般的ではなかったと思います。
当時のキャリアとは出世のことであり、出世競争に勝つことがキャリア形成でしたね。そういう「立身出世的発想×安定・終身雇用」が理想のキャリアだったといえるでしょう。それは、日本が安定していた・発展していたということの裏付けでもありますね。
社会人になってしばらくすると、「キャリア形成・キャリア教育・キャリアコンサルタント」が登場し、育てる×配慮することが求められるようになりました。
そういうことに私が興味を持ったのは、「競争社会の敗者×出世を求めない×転職組」だったからかもしれません。ま、変な奴だったということですね。
今でも、キャリアをテーマとした教材やワークショップ作成には関わりますが、もう「終わった人間」が作成にかかわってよいのか…という根源的な疑問はあります。
ただ、客観的な視点・考察が作成チーム内では高めなのだそうです。
それは、もう「終わった人間」だからではないでしょうかね(笑)。
そうか…転職・転勤・異動が多かった私のキャリアは、「松本市×原稿書き」で終わるのですね。田舎暮らしと読書が好きな人間の終点としては望むところのようです。
なるほど、隠居的心境×いろいろなことがどうでもよくなってきた(達観)のは、終点だからですね。
というわけで、終点からの視点で今日もお仕事頑張ります。