
白馬のジャンプ台
1989年の今日、ベルリンの壁が崩壊しました。
1989年ということは平成元年、私が社会人になった年。社会人一年目の記憶は、始発で出勤し無人の職場でゴミと終わらない仕事を片付けていたこと、夕方になると「いくぞ」と言われて飲みにつれていかれたこと。そのうち、私がお酒が飲めないことが伝わると、居酒屋からお寿司屋さん、当時はやりのエスニック系レストランなどに変わり、そういう場所でのマナーとか、良い感じのお店を知ることになりました。
そんなわけで、ベルリンの壁が崩壊した…という事実の大きさを認識したのは公務員に転職してから。それは、私の鈍感さもあるのですが、まだ世界が広く、遠くの出来事の影響が身近に起きるまでのタイムラグが大きかったからでもあるでしょう。
渋谷にプラネタリウムがあって、東横線の駅が2階にあって、携帯電話はまだ普及前、そのためリカとカンチとは待ち合わせ場所で出会えず別れてしまう時代です。
その昔、ヨーロッパを貧乏旅行したのはまだベルリンの壁健在の時代。
「舞姫」(森鴎外)の舞台を歩きたいとドイツに入りましたが、その場所は当時の東ベルリン側。私のビザでは、「東には入れるけど西に戻れるか保証できない」といわれて諦めました。今調べると「24時間ビザ」というものがあって、それなら可能だったようですが、私の語学力でそれを知ることはできなかったですね。
その後、ドイツに行ったのはお仕事で。舞姫の場所を歩くことは叶わず。
ただ、訪問先からオペラへのご招待を受け、誰も行きたがらず、本来そういう招待を受ける立場ではない若手(当時)であった私が行くことになり、本場でリヒャルト・シュトラウスを堪能したのは、忘れられない思い出です。
ただ向こうからすると、一番若い奴が来たのは驚いたでしょう。普通、それなりの立場の人が…席もかなり良い席でした。でも、その頃の私はリヒャルト・シュトラウスのオペラと、ヨハン・シュトラウスのオペレッタにはまっておりまして、台本を読みこむようなこともしていました。
おそらく私は、観劇中も、休憩中も、終わってからも満面の笑みを隠すことができず、ソプラノのアリアが決まれば拍手を送り、終われば興奮状態だったはずで、なかなかお恥ずかしいのですが、幸い、相手側は好感を持ってくれたようです。
翌日(だと思うのですが)、夕方上司に呼ばれ、お前宛にベルリンフィルのチケットが届いているといわれ、でもチケットをよく見ると「ベルリン放送交響楽団」でした。それでも、私にとっては宝くじで3億円当選するよりも価値のあるもの、これまた満面の笑みで会場に行くと、相手方はご夫婦で来ており、ご夫婦は「オケの会員でご自身の席を所有している」とのこと。
あの時のドイツオペラの響き、オケの響きは今でも耳に残っています。
そして、サイトウキネンオーケストラって、その響きにとても近い印象があります。
とくに昨年の、沖澤のどかさん指揮のブラームスが、あの時の響きを思い出させてくれました。人生は、時にぐるっと回って過去との再会を導いてくれるのですね。
クラシックが好きと言うと、マニア・オタク・お金持ち??という感じで、かなり珍しい人間と言う評価になります。でも、ヨーロッパではそれを日常の一部としている人もいます。日本でも、野球やサッカー場に足を運ぶって、それが特別なことである人もいますが、日常の人がいるはずです。
文化の理解・定着って、それが日常になることを実体験で学んだ若き日の海外出張。
オペラのご招待は「社交=公式」、オケのご招待は「個人=非公式」であることをご理解ください。利益供与などにつながるものではありません。あくまでドイツの日常の一コマということで、念のため。