
気温は下がってきてはいるのですが、それ以上に寒さを感じます。
昼間は暖かいのですが、日没後・明け方はなかなか寒い、というか冷たい。
まだ11月なのですが、冬を感じる朝。しかも外はもやで真っ白。
視界は5mくらいで、当然山は見えません。
今日のように霧で覆われるのは、この季節、ここではよくあること。最近はなかったのですが、今年は「いつもの松本の天気」に戻るのかもしれません。
昨日、原稿一本を出し、次にとりかかっています。
原稿が進むのはカフェインのおかげなのですが、その分身体に負担がちょっと…。
というわけで、昨日は「大根一本×白菜1/2×鶏むね肉×油揚げ」で野菜どっさり味噌汁を作りました。大根・白菜1/2がそれぞれ100円程度で安かったのです。
味噌の分量がドンピシャにはまりまして身体に沁みたのはよかったのですが、こんにゃくを入れ忘れました。疲れていたのか、老化なのか…後者のような…。
最近ホッとしたのは、学習支援で約1年お話し続けた生徒さんが、とある難関大学の総合型選抜に合格したという連絡がきたこと。
彼女の提出論文は「沈黙の意味の差異(怒りか承認か)」を起点としたもの。
「静かな退職」「不登校」って、怒りの表現なのではという問題提起。
それを言えば、投票率が低いことがよく言われますが、それは国民の意識・責任感の低下とされていますが、実は政治に絶望した国民の怒りということもできますね。つまり、政治・政治家の質の低下が本質、それを国民の責任に転嫁するのは政治・報道の詭弁という考え方。
そもそも、日本文化における沈黙は「怒りの表現」です。
山や森などを「神聖な場所・修行の場所」として大切にしたのは、自然の沈黙=自然の怒りを感じる日本人の感性。そういう場所に入ってはいけない・近づいてはいけないという禁忌が生まれたの、自然の沈黙=怒りという感性から。
でも、沈黙=承認という文化もあります。
「投票率が低い=現職・保守系の候補者が当選する=国民の承認」というのが現代日本の一般論×政治の主張。でもこれ、日本文化の本質(沈黙=怒り)とは矛盾していますよね(笑)
人口減少が進む街から、なぜ若者が出てしまうのか、なぜ戻ってこないのか。
その理由と意味とを、地方議会の議員さんたちは認めるべきですね。彼らは、それが怒りだとわかっている、その怒りの対象が自分たちであることもわかっている。でも、それを認めようとせず世代論にもちこんで論点をずらし、課題を曖昧にしている。
そういうこと(笑)
というわけで、今日も仕事に励みます。
明日は、白馬の紅葉をみたいなと思います。それをモチベーションに頑張ります。