
ワークに偏って、ライフが犠牲になっているから…がこの言葉の背景にあります。
個人的には「よく学び、よく遊べ」の大人版だと思っていますけどね。
公務員はヒマという世間の認識は承知していますが、私には職場で倒れた同僚もいますし、教育委員会にいた時は、現場で亡くなった先生もいました。授業中に「ちょっと具合が悪いから、すまんがトイレに行かしてくれ。戻るまで少し自習しておいて欲しい」と言って教室を出て、戻ってこないことを心配した生徒さんがトイレで倒れている先生を発見し救急車で運んだが…ということもありました。
過労死です。労災認定に持ち込みました。
過労死は「時間」で防げるものではないと考えています。
個人に「過剰なタスク」を与えることが原因ではないでしょうか。
過剰なタスクが発生する要因は「価値観」と「人件費をケチる」こと。
過剰なタスクではないですかと問うと、「○○さんはできた、やっていた」という人が必ず出てきます。問題は「○○さんはできた」という発言の背景にあります。それは「組織として機能していない」ということ。個人の能力、もう少し踏み込んだ言い方をすると「スーパーマンのような人」に依存した組織ということ。もちろん、能力が高い人を活かすこと・評価することは構いません。しかし、それを「基準」とすると、悪い意味での属人性が高い組織となります。そもそも、高い能力を持つ人を「雑用」で使いつぶしてどうするですね。
人件費をケチるというのは…組織の定数をどんどん減らすのです。
亡くなった先生の学校では、その直前に「生徒数の減少=クラス数の削減」がありました。1クラス減ると教員定数は3名削減されます。高校は3学年ありますから、3年間で9名先生の数が減ります。これはきつい。
野球には4つベースがあります。4つのベースに対し4人の野手(一塁手・二塁手・三塁手・捕手)が付きます。ただ、これだけだと攻撃側が圧倒的に有利です。そこで「遊撃手」というプラスワンがあって野球になります。警察にも「遊撃隊」がいますね。
無駄の削減=組織の定数減を進めた結果、ショート不在のチームになりました。ショートがいれば、個人の能力を超えたタスクがあってもチームで解決できます(ショートがいるからダブルプレーが成立するわけで)。しかし、全員が目いっぱい業務を抱えている状態では…ですね。
私が社会人になった頃、管理職はショートでした。
何もない時はヒマそうで、休憩室で将棋していました。それが「創造性が高く、結果も出せる健全な組織」なんですね。
と、早期退職=ワークを捨てた人間が言っても仕方ない。でも、おかげさまで「ライフ」は充実しています。また、ワークを捨てても何とか暮らせています。昨今の円安・株高で、資産は早期退職後の最大値を更新しました。
明日から仕事期間になります。今日も読書を進め、創造性の高い仕事ができるように準備しようと思う今日この頃です。