
1970年、「戦争を知らない子供たち」という歌が発表されました。
初演は、大阪万博でのコンサートだったそうです。
私が小学校入る直前が初演で、流行ったのは小学校入学になります。
私の親族には、出征して戦死、広島で被爆、神戸大空襲で逃げ惑った…などの体験をした人がいます。就職するとシベリア抑留から戻ってきた方、特攻隊の生き残り、明治神宮外苑のパレードに参加した人などがいました。沖縄赴任時代は、ひめゆり部隊だった方や、ひめゆり部隊で姉妹を亡くした方、日本兵に親族を殺された方…など。
これに対し、戦後生まれの私は「戦争を知らない子供たち」になります。
ただ、戦争で壮絶な体験をした方は、そういうことをあまり語りません。
学生時代の私は、なぜ語らないのか、黙っているのか、そういう人が経験を伝えることが戦争への抑止力になるのでは…と思っていました。
その思いは長く続いていたのですが、やがて、なぜ黙っているのかがわかる日が来ました。東日本大震災です。一応、私、その被災者になります。
黙っていた人々の気持ちがわかったのはその時。そういうことか…です。
と言っても、なぜ黙っていたかを説明することは難しいです。
もう少し正確に言うと、体験を話すことはできるのです。しかし、それを伝わるように話すことは難しい。また、数は少ないですが、語った人に対して「怒る人」「否定に近い批判をする人」「自論・正義を語り出して独演会をする人」が一定の割合で存在します。そうなると、語ることが怖くなります。そして、このことは自分の中にしまって封印する方がよい…という結論になります。
そういう意味で、語り続けてくれる人、語り部の役割を果たしていらっしゃる方には、尊敬しかありません。
ただ、時間が経過し、戦争を知らない子供たちが退職する年齢になりました。
平和や防災を、どのように伝えていくか、創造するかは、宿題です。
そんな中希望を感じるのは、今の10代には平和や防災について関心が高い人が多いという個人的実感です。そういう生徒さんの感覚は、どこかの国の政治家より優れており、理想と現実とを融合・両立・止揚した考察を示してくれます。
そんなことを考えながら、今日は今治からしまなみ海道を経て尾道に出て、そのまま北上して鳥取に宿を取りました。
そろそろ、自宅方向に向かいます。