
探究学習とか、総合型選抜という言葉が出て来て、そろそろ定着してきましたかね。
大学受験を・推薦入試・AO入試・一般入試という言葉で表現する時代はそろそろ終わり。ただ、相変わらず「推薦とかAOは卑怯だ、学力が低い」「受験は学力勝負」という声は根強くあります。一方で「勉強だけできても、偏差値は高くてもだめだ」という主張も続いています。
これをあわせると「偏差値の高い大学に推薦・AOで進む人が否定されやすい」という状況が生まれます。これは思い込みと偏見とが導いたあまり賢くない価値観と言えますね。
高校・大学入試×一般受験で「面接」が課されることはありません。
書類と当日の試験の点数で合否が決まります。これは、試験としては公平です。
一方、「面接のない就職試験」はないでしょう。この違いは何か。
面接の目的は何か…。それはネガティブチェック。
たとえば、「ちゃんと会話ができるか」。
グループ面接では、もう少し踏み込んで対話・議論ができるか。
いわゆる広い意味での「コミュニケーション能力」の確認で、会話ができない・議論ができない人は×。
たとえば、「知的成熟度」。
これは「勉強だけできても、偏差値が高くても…」のチェックですね。
昨今話題の自家用車・自転車などの運転で例えると簡単。
要するに、運転は上手でも、ルールが守れない人には運転してほしくない。
事故を起こさないように運転する、事故を起こした場合は所定の処置をその場で行うなどですね。「法に抵触していなければよい。事故を起こさなければ何をしてもよい。保険に入っているから事故を起こしても大丈夫」という考えを持つ人は、知的成熟度が低いと言えます。
中高で行われている探究学習も同じで、これは勉強でも学習でもありません。
研究です。
研究では「知的成熟」が求められます。
たとえば、法律を学ぶ人には「法律の悪用をしないという倫理観」、原子力を学ぶ人には「兵器にしないというモラル」が求められます。このような倫理・モラル・リテラシーを身に付けつつ学ぶのが研究です。
政治家も同じですね。自己の利権・一部の利益のために政策を立ててはいけないのです。あるいは、施策を悪用してはいけないのです。
今年も学習支援が始まるのですが、「探究学習って何のためにするのですか」「小論文や面接の対策が知りたい」「勉強が得意ではない、暗記が苦手なので総合型選抜で受験したい」などの質問が届いています。
知的成熟度がまだ低いと言えますね(笑)
ただ、疑問を持つことができるようにはなっているようです。
自分の頭で考えないと探究・研究は前に進みません。コストパフォーマンスを優先すると学びのスピードは上がるでしょうが質は下がります。
今年の学習支援は、「知的成熟度を高める」をテーマにと思います。
マスコミや世論も「知的成熟度」という価値観で観察すれば、見えてくるものがあるのではと思う今日この頃です。