55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

日々雑感(記念日反応のことなど)

 

 というわけで、震災から14年目の一日は松本の自宅で過ごしました。

 「記念日反応」という言葉があって、「その日」は精神的に不安定になることがあります。そういう一日でした。お仕事も予定もない日だったことで「その日のこと」を考えてしまうというネガティブな心の動きと、何もない日だったからネガティブになって大丈夫というアンビバレンツな一日でしたね。

 

 14年経過して思うのは…、津波や被災者の姿などの映像を見て「自然災害の恐ろしさとその脅威」を学ぶことは大事ですし、そこから防災を意識した暮らしを構築してほしいと思います。

 ただ、いつまでもその段階にとどまっていてはとも思います。

 14年経った今検証すべきは「あの時の判断は正しかったのか」です。

 この検証が進まない、報道されない。タブー視されるのは、あの時の判断をした人がまだ存命だからですね。でも、個人的には「判断が間違っていた」と結論づけても、判断をした個人は免責でよいと思います。要するに「過ちを繰り返さないこと」が目的ですから、個人の責任を追及は意味がない。もう少し言うと「個人の責任にするから過ちは繰り返される」と言えるでしょう。

 

 たとえば、あの時の原発事故の要因はすでに解明されています。

 それは、組織論の中で「教材」にまでなっていますが、一般的な知名度は低いです。

 土地をかさ上げしたこと、防潮堤、復興住宅の設営場所なども、被災した人の心情に寄り添うという観点では正解だったかもしれませんが、そのことで町の財政負担が大きくなり、長期的には「復興した町が滅ぶ要因」となりつつあります。

 

 昔人には、年を取ってから早めに社会から距離を置き、ご隠居生活・自給自足的生活・あの人はいまどこに状態になる人が少なくないです。

 それは「あの時は正解だと考えた判断が、時間の経過によって正解だったか・否か」が自分の中で明確になったということなのではないでしょうか。おそらくは否だったということですね。そのことが自覚されるのは、時間の経過だけでなく、若い人の持つ新しい価値観に気づいた時だと思います。若い人の価値観が正解なのです。

 でも、そういう価値観で判断・思考することはもう自分にはできないのですね。

 自分の価値感は、未来から裁かれるような判断・思考しか導けないのです。

 

 14年は私にとってあっという間で、でも異動・転勤・転職・早期退職・移住と激しい変化が多く、当時の私に「お前、14年後に松本で暮らしているよ」と言っても信じなかったでしょう。でも、この14年を残りの人生の中で少しずつ消化していこうと思う今日この頃です。