55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

日々雑感(少し思い出すことなど)

 

 昨晩は、寒さで目が覚めたりしました。

 二重窓の内側を空けると強い冷気が…、春めいてきたと感じていたのですが、最近また灯油の減りが早くなっています。寒の戻りですかね。ただ、日の出時間は確実に早くなっています。寒さはもう少しの辛抱のようです。

 

 さて、とうとう読売新聞が書いてしまいましたが…東日本大震災の復興のことです。

 阪神淡路・東日本などを経て、防災意識や防災的な観点からの町づくりはかなり広まってきました。でも、まだ弱いのが、災害後の復興をどうするかなんです。

 阪神淡路で大きな被害があったのは神戸市周辺になります。で、震災後15~20年経過しても、震災前の経済状況にはもどっていないのです。お隣の明石市が子育て政策を進めたこともあって引っ越す人も増え、人口減少も加速中です。

 東日本で津波被害をうけたのは海沿いで、つまり人口減少×過疎化が可視化されつつあったエリアです。たくさんの方が被害を受ける中でもめたのは「元通りの町に復元するか」「これを機に人口減少に対応できる新しい町づくりを進めるか」でした。

 また、復興スピードを競うような空気もあり、早く復興した町が勝ちのような考えに捉われている人も少なくなかったです。

 

 結果から言えば「新しい町づくり」を選択した自治体の方が復興が早く、支援や観光の訪問者が多く、漁業などの地元産業も元気になりました。

 一方、「元通りの町に復元する」という意見が強かった町は、なかなか復興計画が確立せず、その間に県外避難していた人は避難先で住居・仕事を得て町を離れることになり、復興(復元)ができた時にはもう誰も戻ってこない。復元した町はゴーストタウンのようになってしまいスーパーなども撤退するため、戻ってきた人が買い物難民化するという悪循環になっています。

 で、復元した町、高台を切り拓いて造成した復興住宅のために新たにインフラを整備しました。電気水道ですね。このインフラ維持費が自治体予算を圧迫しつつあります。

 つまり、復元=衰退なのです。

 

 当時、私は被災地で暮らし、いろいろなものを見ました。

 とくに高齢者の方々が「復興とは復元」と主張する気持ちはわかります。現在は震災遺構として保存されていますが、その多くも「見ると思い出す、つらい」として当時は撤去が前提だったものも少なくないです。

 「復元・被害を受けた建物を残さない」を選択するということは、当事者である高齢者の心情に寄り添った人道的判断と言えるでしょう。ただ、それは震災後、人口減少×自治体予算の圧迫という現実を招きました。これは時間が経てば経つほど大きくなります。

 そして、若者は減り、震災のことを語り継ぐ人もいなくなります。

 観光や買い物、支援・応援で訪問する人もいません。

 そこに残るのは、数名の集落のためのインフラと、その数名を見捨てることは許されない(それはそうですが)という世論です。

 

 もし、東京で大きな地震があったらどうするか。

 東京の人口もあと15年くらいでピークアウトします。つまり復興=復元では東京はもたないはず。その時、復興をどのように定義するか、震災直後のセンシティブな空気感の中で感情論に流れがちな高齢者の復元論をどのように食い止め、未来を根拠とした町づくりを冷静に進めることができるか…、そういう議論を進めておかないと、衰退が加速するのです。

 

 問題は、そういう論点を提示した段階で怒り出す人ですね。

 ちなみに、こういう論点は10代の若者の多くが意識しています。

 たとえば大川小学校の保存が可能になったのは、若者の意見でした。

 個人的に明日は祈りの日なので、その前日に少し毒を吐いておきます。