
昨日の午後は、学習支援×探究学習スペシャルでございまして、二つのグループの議論を拝聴しました(ZOOMで)。
簡単に言うと、高校1~2年生が1年間の学びを振り返って「本音を語る」ということ。ただ、それだけだと「結局探究って何なの??」が否定的(つまりいらない、役に立たない、無駄)になってしまう可能性もあるわけで、先生とも相談の上「昨年5月と今とを比較して、探究のイメージが変わったこと、自分の中で変化があったこと」という副題をつけました。
探究学習に否定的な意見を持つ生徒さん、自分に変化はないと明言する生徒さんもいます。そういう生徒さんに共通する傾向として「越境体験がないこと」があります。
異なる文化、異なる分野、異なる地域、異なる価値観の体験がない。あるいは、異なるものに対して否定しかできない。比較を「優劣の決定方法」としか理解できない。などですね。融合的な発想ができないともいえます。
で、探究という学問・課題解決の方法を面白がる生徒さんは、上記の逆。
高校授業料の無償化が話題ですが、今から20年前から無償化議論はありまして、その時実施されていれば教育を通じた社会課題の解決が導かれ、今の中学生・高校生が学ぶ環境がかなり変わったと思います。ただ、今となってはすでに旬を逃しており、これは新たな社会課題を生む可能性を内在すると考えられます(もちろん、無償化によって救われる人は少なくないので、その効果を否定するものではありません)。
これは、大学無償化も同様。
ではどうすべきかというと、高校生の意見は2つに分かれます。
・無償化に賛成 → 越境体験のない生徒さんが多い
・無償化に反対 → 越境的発想ができる生徒さんが多い
無償化に反対チームがひねり出した提案は、「奨学金で入学金・授業料が払える程度まで大学の学費を下げてほしい」「学費無償化相当の金額を各大学に研究費として配布してほしい」です。
要するにお金の使い方として「無償化」で助かることあるだろうし、そのことで大学進学を諦めないで済むこと、大学進学後もアルバイトのために勉強時間が削られること、就職して奨学金の返済に苦しまなくてもよいことはとてもありがたい。
でも、経済的理由による大学進学を諦めさせないという目的ならば「値下げ」で済む。奨学金も最大月10万円まで借りられるが、そうすると4年間で480万円の借金を背負ってかつアルバイトもしないと足りない。しかも自宅通学圏内の大学に限られてしまう。であれば、せめて今の半額(というと、私の頃の学費ですね。国立20万、私立60万)にしてくれれば、月5万円の奨学金で賄える、それくらいなら返せるという考えでした。
まぁ、そうするには、その分の金額が国が負担するわけですが、おそらく無償化より少ない予算で可能。高校生の単純計算では「大学生の総数290万人×一人60万円」になります。で、できればさらに同額を各大学に「研究費として支給」です。
一方で「無償化賛成チーム」は、経済的な理由で大学進学を諦める人が救われるはず、子供が大学に通う家庭の保護者が助かる、子供を大学まで行かせようとするとお金がかかるわけでそれが少子化の要因なので無償化すればたくさん子供を作れる、というものでした。
それぞれに正しく、短時間でよく考えられていると思います。
ただ、無償化賛成×越境的発想が弱いチームの意見って「無償化促進派の政治家」の意見とほぼ同じなんですね。そういう意味で「よくある世論のコピー」であって創造的な発想は乏しい…。さらに言えば、これは「経済貧困層」を救うことは可能ですが、「学力富裕層」は視野に入っていない。つまり「大学×研究機関」という発想が完全に抜け落ちています(無償化反対チームは、経済的貧困層に支援をしつつ、研究機関としての大学の価値を高める発想があります)。
複数の視点を意識すること、一つの解決策で複数の問題の解決を導くことが「探究的発想だよ」で締め括りました。なお、この言葉は担当の先生と事前に打ち合わせいたもので、先生が日常的に生徒さんに伝えている言葉。
それを外部の人間から発することで、言葉を意識に残すというよくあるパターン。
続きは来週。