
本日は雪。この冬初めての本格的な積雪。
とはいえ、東京だと大騒ぎになるでしょうけど、寒い地域でなら「積もったね」と無表情でつぶやく程度。
ただ、松本の場合、周辺部から市街地に入ろうとすると橋が多い(市内を川が流れている)、松本から出ようとすると峠越えがある、何もなくても渋滞しやすい(城下町の宿命)ので、自家用車移動の場合はちょっとたいへんかもしれません。
まあ、平地にお城があるってことは町の構造が要塞的なわけで、現代社会でそういう町で暮らそうとするとある程度の不便はやむを得ないでしょう。
城下町で渋滞などを改善しようとするならば、立ち退きしてもらう人が必要になるわけで、これはトレードオフになりますな…。
生涯でピークはいつ来るか…とふと思いました。
高校生の様子を見ていると、受験や就職の時に「学力的なピークが来る人」と、「30代を過ぎてから頭角を現しそうな人」がいます。
うちの娘は10代の時は勉強でも人間関係でも苦戦することが多く、中学受験して人間関係をリセットしたり、第2志望であった無名の地方私大に進むことになりました。
ただ、二十歳を越えたあたりから積極性が出て来て、語学検定でハイスコアを取り、交換留学で海外に出て、そのまま向こうの大学を卒業しました。学歴ロンダリングと言われればそれまでですが、学力・積極性が20代になってピークに向かい始め、留学先の文化が水に合ったのでしょう。その結果、親も驚くような変容を果たしました。
作家遠藤周作も、中学までは低空飛行で、三浪して慶応義塾大学に補欠合格しています。その後、大学で佐藤朔という恩師と出会い、猛烈に勉強を始めてフランス留学、作家デビュー、芥川賞と進みます。晩成型の人生と言えるでしょう。
私は、現在に至るまでずーっと低空飛行なのですが、高校から大学にかけての7年間の読書量は、その後の人生を決めるほど多かったかもです。勉強するヒマがあった本を読んでいたわけで、あと大学時代、通学で「下北沢」をとおると下車して本多劇場に通い、新宿紀伊国屋でつかこうへいの新作を見るのが楽しみでした(いわゆる「ぴあ」世代です)。読書の時間を受験勉強に充てていればもっと偏差値の高い大学に行けたと思いますが、でも、あれだけの読書量と観劇経験とがなければ、その後人生や学びは進まなかったわけで、これもなかなか難しいですね。
国語とか、歴史とかが突出してできる高校生には、勉強するヒマがあったら本読んでいる、あるいは小説を書いているなんて人が結構います。理系だと、放課後の理科室で毎日謎の実験をしているとか。そういう高校生が科学オリンピックで入賞したりすることがあります。
そういう人って、現代の教育制度や受験制度にはあまり適合しないと言えます。
(ただ、トップ進学校には「そういう生徒さんを放し飼いにする余裕」があります)
戦前の教育制度には「大学予科」というものがあり、ここで「大学への準備教育」をしていました。これが、現在の大学1年次における「初年度教育」や、高校における「探究学習」になると言えます。
昭和世代の私としては、勉強するヒマがあったら本を読んでいる、謎の実験を繰り返している、外の団体に所属して地域おこしに参加している、サッカーのユースチームで頑張っている…という高校生が、偏差値的な枠組みで弾かれるのではなく、そこで得た知見が評価される枠もあってほしいなと思います。
また、そういう生徒さんに冷たい目線を向けない社会であってほしいなとも思います。そういう人の中には、20代、30代になって大きく羽ばたくケースもあります。
そういう可能性のある生徒さんを発掘して、そっと励ますのも外部から参加する学習支援の役割と思う今日この頃です。