
PrimeVideoで「天城越え」を見てしまいました。
ロケ地は、旧道天城峠らしく、記憶にある橋や風景を見ることができました。
結構満足。
「伊豆の踊子」もあるのですが、こちらは別途料金必要につき後日。
昨日は、学習支援で高校生とのお話の時間。
高校3年生から無事合格できました(つまり、小論文は不要になった)という報告もあり、ホッとしました。頑張ってましたからね。また、私大の受験が終わったので国公立二次に全集中という生徒さんもいます。
高校2年生は通年で実施した探究学習の発表、まとめについての相談がありました。一応、相談と書きましたが実態は「壁打ち」ですね。私が壁。ただ打ち返すのみ。バッティングピッチャーみたいな感じです。
少し気になったことが…
私の歴史好きは、平家物語の舞台の近くに住んでいたことがきっかけです。
義経が下った山の斜面や、敦盛の首を洗ったとされる須磨寺をうろうろと歩き回りました。須磨寺には真っ赤な池がありまして、それは敦盛の首を洗ったから…という由来が記されていました。ただ、小学生の私でも「由来」と「池が赤い理由」とはわけて考えていました。
歴史を「歴史小説」で知って、その後「歴史的な事実を知る」というパターン。
そして、小説と歴史とを比較して「筆者の創作部分を分析する」という読み方をしていました。したがって、小説に記されている出来事・人物がどんなに実際の出来事・実在の人物と似ていても、それはあくまで作者が創り上げたものと理解していました。海と毒薬(遠藤周作)を読んで怒った人、訴えを起こした人がいるそうですが、それは文学(フィクション)を理解できない人と思っていました。
しかし、ある生徒さんから「坂の上の雲」(司馬遼太郎)を歴史的事実として理解しているような発言がありました。事実と解釈との区別がまだついていないのですね。別の例で言えば、司馬遼太郎が描いた坂本龍馬と歴史的な事実として坂本龍馬とには、それなりに乖離があるはずです。
私の知る限り、最も史実に近い作品を書くのは「吉村昭」さんですが、それにしても、つぶさに分析すると「ああ、ここが解釈・創作なんだ」という箇所があります。そこに作家の主張・作品のテーマが暗示されているのですね。
小論文でもエントリーシートでも、根拠となる客観的事実を明示することが重要なわけですが、事実と会社との区別がついていない場合、考察が迷走します。
また、思考が「解釈寄りの人」は、極端な考察を示しがちです(本人は無意識)。
フラットな事実に基づいたフラットな考察を進めるトレーニングを作ってみようかと思います。
ちなみに、私は3年B組金八先生のリアルタイム世代です。
あれはドラマであって、武田鉄矢は先生の役を演じていると思っていました。
その後、武田鉄矢さんが教育論を語り始めた時は違和感がありました(ただ、ご本人は教育大学出身で教員を目指した時期もあったようですが)。坂本金八という先生を演じることには問題はないですが、武田鉄矢として教育論は語るのは…(以下自主規制)。だって、唐沢寿明や米倉涼子が医療について語ることはないですよね(笑)。