
白馬岩岳のカフェ
研究に挫折して修士課程の途中から就職活動に切り換えた人間としては、組織内での出世とかには関心も欲もなかったです。
現場・最前線で課題の分析、課題の解決に定年まで取り組んでいければ十分と考えていました。
年齢・経験を重ねるにつれて「課題の分析力」は高まります。楽しかったです。
しかし、「解決の発想力・考察力」が目に見えて落ちてくるんですね。
課題の構造を論理的に分析することはできても、直観力・創造的感性が明らかに落ちてくる。少し自分を慰めるような観点で表現すると、解決に対する感性はあるのですが、若い人たちの知識・創造力・解決力の方が明らかに高い。
これがちょうど40歳になった頃。知的な貯金を使い果たし、思考力が出涸らし状態になったというのが自己判断。つまり、自分が最前線でリーダーとなって課題に取り組んでも結果が出ない状態になったと言えます。
というわけで、少し前から勉強を始めていたファシリテーションの手法を実際に使い始めたのもこの頃。先頭に立つのではなく、兵站・補給担当となり、でも責任は負うということ。その結果、私のチームは、部内で最もクレーム・苦情が多かった一方で、最も結果を出すことになりました。一応年長の私はクレーム担当、若手が解決担当。
全員でおこなう会議は「課題の分析・共有のみ」として拘束時間を減らし、夜の飲み会はしない。私の任務は会議の場に「甘いもの・しょっぱいもの・歯ごたえのあるもの」を提供すること。
組織に中の立ち位置の変化や早期退職などを考えるきっかけはいろいろあります。
その一つに、「課題に対する解決力の低下」は大きな要因と思っています。
よく「平時に強い人」「危機管理に強い人」という分類があります。
同様に「売上を増やす人」「課題解決ができる人」という分類もあると感じています。今話題になっているお台場のテレビ局は「売上を増やす人」がトップに立っているようです。しかし、今直面しているのは「課題解決」。そういうタイプの人がトップに立たないと難しいよな…と遠くから無責任に感じています。元々課題解決型ではない人がトップに立つとこうなるという見本のような事例。
議員・首長などと言われる人にも「発展型の立案をする人」「課題解決型の政策を重視する人」「根回しと陰謀とに長けている人」などのパターンがあります。
人口減少が向こう100年以上続く日本では、課題解決型の人が求められますし、そういう人がトップに立った方がよいです。でも、課題解決型の政治家・政策は「出る杭とみなされて課題から離れていくこと」が多いです。
私が、日本の将来に希望が持てないのはこの点。
ただ、日本の将来に希望を感じるのは、若い人に「課題の分析力・解決力に秀でている人がたくさん存在すること」です。
そんなわけで、早期退職後に大学に入り直し、デザイン思考・システム思考・U理論などを学び、その活用の練習をしてきました。
お仕事や学習支援ボランティアを通じて、それを世間に還元できればと思う今日この頃。
早期退職したことで、世間の変化や騒ぎを客観的に見て学びとするが現役時代より進んだような気がします。紫式部も、女性であることで宮中の男社会や男性そのものを冷静に客観的に描けたということが少し実感としてわかります。この距離感が大事ですね。距離感を意識することで自身の老害化を防ごうと改めて思う今日この頃です。