
少しコロナがおさまってきた頃の上高地
現在は激混みですが、当時8月上旬の平日の人出はこんなものでした
20代で民間企業から公務員に転職しました。
というと、安定? 給与? 福利厚生?? とか言われるのですが、そういう意識は全くありませんでした。そもそも公務員に転職して給与は減りました。妻に負けましたからね。
あの時考えたはこういうこと。
大学院を出て就職した民間企業に勤め続けると、専門性の追究はさらに進んだと思います。学問的な知見を深めていくということですね。
一方で公務員になると、専門性を活かす・社会課題の解決に取り組めるという環境がありました。学んだことを実践できるんですね。
大学院で優秀な仲間に出会って研究者になることを諦めた身としては、「狭く深く極める」よりも、「専門性を現実社会で実践する」を選択したということです。あと、公務員になれば転勤や異動もあるはずで、そこでケーススタディ的に自己の知見を深めることも期待できました。
どっちがよかったかはもう済んだこと、考えても仕方がないです。
言えることは、民間に一緒に入った同期は、そこで徹底的に専門性を高めていました。その専門性に私は叶わないです。ただ、公務員として多様な現場を経験したことで得た知見は転職しなければ得られなかったもの。公務員として得た知見は、古巣の民間にも還元していますし、何よりも今の稼ぎにつながっています。
バブル時代、金融・証券、報道・放送、新聞・出版などが花形でした。
そこに内定・就職した仲間は、羨望の対象であり勝ち組でした。
でも、あれからもう40年経過しました。東大生は天声人語の新聞社を受験しなくなりました。見限られたのです。それは公務員も同じ。
娘によく言っていたのですが…、大企業は安定しているかもしれないけど、経営があやしくなると血も涙もないリストラを断行する。小さな町工場だと経営上の課題をみんなで共有してみんなで解決しようとする。家族同様の従業員の解雇は難しく、解雇するときは倒産する時と言える。どっちにする?? ということ。
そのココロは、組織の大きさや安定という神話を信じてはいけないよということ。
そもそも、給与が高いと言われる企業で定年まで勤める人は極めて少ないです。
ちなみに、給与は個人の能力よりも「所属する組織」によって決まると言えます。ただ、能力が高い人が「給与の高い組織にjoinする」という流れが可視化されつつあります。とくに転職市場ではその傾向がはっきりとしています。
私は早期退職×原稿書き稼業となって、収入は現役時代には至りません。
でも、私一人老後を送る分には(ギリギリ×節約必須ですが)何とかなりますし、定年がないことがとてもありがたいです。
原稿書きのチャンスとスキルとは「転職経験×早期退職」によって得られたわけで、そう考えると学生時代に何となく憧れていた新聞・出版に進んでいたら今頃…と思います。いずれ早期退職はしていると思いますが、それが「リストラ」なのか「自分の意識」なのかでその後のダメージはかなり違います。
そうか、早期退職して得られる幸福とは、それが自由でも不安でも、いずれ自分の選択・責任の結果という納得感なんですね。社長や上司の価値観によって私の人生は左右されないんです。むしろ、社会課題が原稿のネタになる、円安が資産を増やすという…。
というわけで仕事に戻ります。