
震災からコロナを経て、人口減少を含めた様々な社会課題が一般に周知されるようになってきました。
そのココロは「どうやら今までの社会システムや習慣では暮らしを維持することが難しい」ということ。つまり、マイナーチェンジではなく、フルモデルチェンジしないといけないんですね。
ただ、この時意識しないといけないのは、古い制度を廃止すればよい…という単純な発想だけではいかんのですね。
古い制度、今の社会にはあわなくなった制度にも、「制度を作った時の目的・意味」があるわけでそれを再確認することが大事。その制度がどのように現在の価値観や科学の進歩とズレてきたかを検証することも大事。この確認と検証とを経ないで議論に進んだ場合、意見が対立するだけで建設的な発想には進まないことが多い。
これは解決の発想も同じ。たとえば「子ども食堂に対する支援」は、「子ども食堂が不要になる社会」にすることがゴールなわけで、目の前にある貧困に対する支援と、貧困を解決する仕組み作りとを「並行」して進める意識が必要。二刀流的発想ですね。
で、温故知新の精神をもって二刀流的解決を進めようとすると、それを阻む人が登場します。
温故の作業を進めると「では、今のままでいいではないか」と言い出す人とか「子ども食堂の支援をすると貧困問題が解決する」と思い込んでいる人とかですね。
同様に「今の制度を潰して新しくすること」「新しい社会の仕組みを作ること」だけしか頭にない人もいます。
共通するのは「視点をひとつしか持てない」こと。複数の視点を意識できないんですね。そして自分と異なる視点に対しては否定・対立という姿勢しか持てない。そして、議論ではなく論破し合うだけになる。
頭では「多様性」がわかっていても、結論は「自分と同じ考えしか認めない」という一元論的価値観から脱却できないんですね。
で、この自分と同じ考えしか認めないという一元論価値観の人は、自分と異なる考えをどのように潰していくかというと「悪意の解釈」です。どんな仕組み・アイディアにも二面性があるわけで「悪意の解釈・性悪説的運用」が可能です。もちろん、その指摘は重要ですが、それを改善するという建設的発想が示されないのです。結局「反対という自己の主張を正当化」するために悪意の解釈を主張し続けることが多いです。
私は、日本の公務員とか官僚とかは優秀であると思っています。
ただ、優秀な人が減っていることは認めざるを得ません。
減る理由は、優秀な人に対して向けられる「一元論的悪意」です。
その結果、優秀な人は以下のような道をたどるケースが多いです。
一つは、自ら民間に転職してそこで能力を発揮する。もう一つは、異なる考えの人に嵌められて退職させられる、もしくは徹底的に冷遇されるというおなじみの路線。小説の中だけでなく、リアルに見聞きすることが増えたのが私の公務員時代後半戦。そして一元論的悪意で部下と政策とをつぶしていた上司の一人が政権与党の議員になったのは、なかなか衝撃的でした。
今は、そういう魑魅魍魎とした世界からきれいに距離を置き、信州の空気で絶賛デトックス中です。という昔話を書いてさらなるデトックスを進めてしまいました。
すいません。
早期退職したので社会システムのモデルチェンジには関われません。
その分、自分の暮らしのフルモデルチェンジをと思います。
というわけで、お仕事に戻ります。