
小川村からの北アルプス
現在朝カレーを暖め中です。
無水カレーは「材料の水分」をあてにしています。ですから、材料を切る時小さめにすると完成時に「たまねぎは溶けてなくなる」「ナスは縮み、皮だけが残る」という状況になりがち。そこで、今回は乱切りしました。いい感じです。
最近選挙が多いですけど、ネガティブ情報、減点法的な発想が広がることが多いと感じています。こういう時は「結論ありきの議論」という議論に値しない状況になりがり。自分と異なる意見を否定するために、ネガティブ情報を集め結び付けて攻撃するという論法が気になります。
「騙された方が悪い」という価値観があります。
確かにそうなんですけどね、そのことで「騙した方が免罪される」のは違うと思います。たとえば、深夜に高校のグランドで車を運転してよいわけはないはずで、その点は処罰を受けないといけないはず。もちろん学校の責任もありますから、そこにも処分があるのは当然。しかし、すべてを学校に押し付けて自分の過失を回避しようとする言動には違和感があります。
我が家も、娘を中学2年生から高校卒業まで学校の寮に預けました。
でも、何かあったら親の責任という価値観がありました。また、自宅を離れるわけですから、本人にも年齢とは関係なく「自律の意識・大人と同じ責任感を持つこと」をよく話し合いました。
そういう意味で、娘がどんな悪人になっても縁は切らないけど、悪いことをした分の罰は受けるべきだし、その罪は親も一緒に背負っていく…というのが夫婦の価値観でした。
ま、個人の価値観を他者に強要するわけにはいきませんし、私と異なる価値観を受け容れないといけないこともわかっています。でも、相手の過失を最大化して自らの罪を回避しようとする言動には違和感を拭えません。
また、そういう主張をする人が増えると、専門家でも混乱するほどルールを細分化しないといけなくなり、厳罰化が進み、世の中がどんどん息苦しくなるというのが個人の感想。
自分の責任を回避するか、自分の正当性をアピールすることで、世の中を息苦しい世界にしていることに気づいて欲しいな…と思うことが多いです。
しかし、早期退職して日本の片隅でひっそりと生きることはとても快適。
世の中の息苦しさが増すほど、そこから距離を置けるのが早期退職の醍醐味と言えるかもしれません。