いつ行っても白馬には癒されます
昨日の17時まで拘束されていました。ですから昨晩は富山県内に泊まって…と考えていたのですが、現在自宅にいます。
少し早く15:30頃には解放されました。
GoogleMapで調べると、富山市内まで行く時間と、自宅到着時間が1時間ほどしか変わらないんですね。すると、旅より里心の方が強くなってしまい、さっさと帰宅しました。途中高速を少し使いましたが、泊まるよりは安い。
そして、スーパーの営業時間内に松本市内に到着し、買い物をして帰宅し、早速カレーを仕込みました。今、朝カレーを済ませたところです。
無水カレーの通常レシピでは玉葱2個なのですが、1個28円でしたので4つ入れてみました。ちょっと…甘いですね。玉葱の甘みが強く出たようです。
さてさて、今回は日本海側、原発がある地域でのワークショップ。
テーマは防災ですが、要するに避難を何度しないといけないかに気づいてもらうという目的で構成しました。
多くの人はこんなイメージだと思います。
0次準備 防災グッズの準備・家族が集まる場所の確認
1次避難 地震の揺れとそれに伴う事象(津波・建物の崩壊など)から身を守る
2次避難 指定避難所(学校など)に行く、外出先の場合は帰宅する、
問題はこの先なんですね。
3次避難 自宅が地震・津波などで失われている場合どうするか
4次避難 原発に問題が発生し、緊急避難が求められる
5次避難 地元にはしばらく戻れない
ここまで想定している方は、参加者にはいませんでした。
たとえば県外の親戚を頼るとして…田舎の古民家風一軒家ならば大きいですからよいでしょうが、都会のマンションではいろいろ無理があるでしょう。たとえば、自家用車で避難したとしても駐車場がない(有料)とかですね。
学生さんもいました。都内のアパートで暮らしながら大学に通っている時、地元に災害が起きたことを知ります。どうしますか?? ですね。
駆けつける…という声が多いのですが、どうやって…となると「あああ」になります。能登の現状を知る人も多いので、たとえば大学生の子供が東京から駆けつけてくれるとうれしいし、心強いし、精神的にはありがたい。でも、長く滞在することは難しいし…となります。
逆に、自宅で暮らす親御さんが、お子さんの暮らす東京で災害があったことを知ります。どうしますか?? も問いました。
私の役目は「問題提起」まで。ですから、参加者が「あああ」と思ってくれれば目的達成。そこから各自の課題を言語化~全員で共有~課題意識の共有と地域互助への意識を引き出してワークは終わりです。
東日本大震災の時、私は「自宅避難者」に分類されました。
小中学校などに設営される「避難所に避難した人」には、避難所での食事・炊き出しが提供されます。しかし、自宅避難者には提供されません。また、避難所を運営する公務員も、「その避難所に避難している人でない」ということで食事やトイレなどは自力になります。
つまり、自宅避難の公務員で避難所運営の支援を担当していた私にはメシがなかったんです。また、津波が自宅の1階を貫通している方の場合、自宅に鍵などがかかりません。つまり悪い人に自宅を荒らされるとか、2階に知らない人が寝泊まりしているなんてこともありました。すると、夜は自宅で過ごすことになります。そうすると「自宅避難者扱い」になって、食事などの提供が打ち切られるということもありました。
この杓子行儀で融通の利かない判断は、「まったく公務員は…」という部分もありましたが、避難者・住民から「この飯は避難所のものだ」「自宅で寝泊まりできるという恵まれた人に食事まで提供するのか」などのご意見の反映もありました。
こういうことを「地域住民で事前に話し合い、冷静な状況で合意形成する」ということもワークで実践してもらいました。
もちろん、このワークの決定が地域のルールになるわけはありません。ただ、こういうことを話し合う時、決める時の空気感・気まずさ・重さ・本音の探り合いを経験してもらいつつ、「自助と何か」を新たな視点から考えてもらうということです。
東日本大震災は民主党政権時にありました。少し前の選挙では政権交代までは進みませんでしたが、そういう時に限って何かが起こるんですよね…とつぶやくと、参加者の集中力が高まりました。続けて、そういう時「公助」はあてにならない。大きな決断ができる政治家はいない。文句を言っても食料は届かない。
自助あるのみ…とお伝えするのが個人的な目標。あとは地域にバトンタッチ。
そんな今日この頃です。