知人の一人に高校の先生がいます。科目は国語。
昔々、私大の合格ラインは70%と言われていました。私大のみ受験だった私は、3教科300点満点で210点をいかに取るかという戦略で勉強していました。
で、当時よく言われていたのは入試問題の平均点のこと。共通試験の現代文の平均は50点くらい(100点満点換算)、私大の現代文の平均は30点くらいと言われていたことを憶えています。
知人の先生に「今の平均点はどうなんですか?」と聞くと、たぶん同じだと思うと返ってきました。たしかに、学習支援をしている高校生さんが模試の結果を見せてくれることがあるのですが、国語が苦手…という生徒さんの得点は半分以下なことが多いです。
何が言いたいか…というと、「世の中の人は、物事の半分程度しか理解していない」ということ(笑)。もちろん私も。
それで「議論」をしても解決や合意には至らないですね。
役所の窓口業務・電話対応も「半分くらいしか理解していない」と思って対応した方がこちらの気分が楽。大きな声では言えませんが議員対応も同じ。
志望理由書・小論文が書けないという生徒さんの状況を観察していると、根拠となる事実の把握が弱いんですね。主張の根拠の理解が半分以下です。
言い換えると「根拠の半分以上が主観」とも言えます。これは頭のよい生徒さんに多いです、根拠を作ってしまうんですね。
今、世の中でもめていること多いです。
そういうもめごと(?)とは距離をおいています。
なぜなら、マスコミ報道をみても、おそらく事実は半分以下しかないのでは…という思いがあるから。また、最近は結論が先にある取材も多く、中立・客観ということをあまり期待できません。
そういう世の中で育つ高校生には、新聞は読むな・テレビは見るなという指導の有効性が高いです。ではどうやって根拠・情報を得るかというと、体験なんですね。
自分は、事実の半分しか知らないということをもう一度肝に銘じて、卒論を進めようと思う今日この頃。先に仕事を済ませます。