白馬村のジャンプ台
早期退職して5回目の夏を迎えています。
立場的には「早期退職~無職~フリーランス」という変遷になります。
もう少し詳しく書くと「早期退職~失業給付金をもらいつつ現役時代の所得に基づいた高額な社会保障費を支払う~非課税世帯~社会保障費程度の稼ぎ~生活費が稼げるようになる」になります。
無職からフリーランスの暮らしを振り返って、最近しみじみと早期退職してよかったと実感することがあります。
それは、組織によくある理不尽なルールや非倫理的な言動をする人に従わなくてよいこと。
今のように価値観の過渡期にある時、かつては合理性や効率性を導いていた価値観が、非合理的で非人権的なものになってしまうことがあります。
ただ、価値観は変化しても社会の仕組みがおいついてきません。
これは、科学の進歩に倫理の対応が追い付かないということに近いですね。
となると、事件は会議室ではなく現場で起きます。
会議室に集まるのは、世代・役職・価値観が近い人同士ですから、そこでもめ事はあまりおきません。しかし、現場には昭和から平成くまで、ヒラから課長まで、国公立大学から帰国子女までいます。窓口だとさらに混沌とした状況になります。
そういうわけで事件が起きやすいです。
となると組織で働き続けるためには(もちろん法は守りますが)組織や地域にあるローカルルールを知り、妥協の接点を見つけながら、理不尽なことや非倫理的なことに対応する必要があります。
その時は、だいたい板挟みになりつつ、自分も葛藤を抱えることになりますね。
自分を通せば敵が増える。自分を殺せば理不尽と自己嫌悪に苛まれる。
フリーランスにはそういうことはないです。
というか、無職の不安に負け、お金欲しさに変な仕事に乗らないことが、フリーランスの生存条件ではないかと思います。
理不尽なことがあった断る、非倫理的なことは引き受けない。
日常生活でも欲や誘惑に負けないことですね。
組織人としては、特に年を取ると理不尽なことを受け容れつつ、それを上回るよい提案を通すことが求められました。それが根回しなわけですけど、何でこんな非倫理的なことを受け容れ、それが発覚した場合は自分も無傷では済まない悪い意味での秘密の共有をさせられながら、そういう相手に感謝しないといけないのか…ですね。
そういうものから解放されました。
納税もしています。借金はありません。
お仕事も希望ある未来を創ることに小さく貢献できるものです。
無職・個人になった方は、とにかく理不尽や倫理に反する言動から距離を置きましょう。不安からくる誘惑に乗らないようにしましょう。
それが、早期退職後のサバイバルを可能にするようです。
ウェルビーイングってそういうことかもしれないと思う今日この頃です。