昨日は、学習支援のお手伝いをしている高校生との対話。
前期考査が終わったようです。
教育関係志望の生徒さん数名で、テーマは「いじめ」の対応。
生々しいですね。
教育部署時代かかわったことがあります。で、いじめ案件が学校の外に出るということは、解決の見込みがないということでもあります。
解決の見込みがないということはどういうことかというと、「加害者が事実を認めない・自覚がない・とぼける」「被害者や学校に非があると主張する・自分こそが被害者であると主張する」という状況と言えます(個人の感想です)。
この点は、高校生さんも同じ感覚でした。
この先、どんなことを話し合ったかは、ここでは伏せます(笑)。
「もし、私だったらどうしますか?」という質問があったので、昔、ちょっと考えたことを伝え、今どきの高校生の感想を聞かせてもらいました。
基本線はこういうことです。
1,私立探偵などに依頼し、いじめの事実・証拠をつかむ
2,証拠をつかめたら弁護士に相談し、加害事実を立件できるか確認する。
3,立件できそうならば、警察に相談する。
・加害現場が学校であっても、学校の責任は問わない。
・学校の責任を問うことは、加害者の責任を薄める可能性がある。
4,被害届の提出、刑事・民事での裁判の準備
目的は、加害者が加害事実を認め、責任・賠償・謝罪してもらうことです。
加害者側がそれを認めない場合は、裁判まで進む。
どこかで認めたら和解に応じる。
この基本線に沿って、あとは状況や、当事者であるわが子の気持ちなどを踏まえながら判断していく感じになりますね。
もう一つは…私の個人的体験になりますが、中学時代、いじめで友人が自死しています。公務員時代も、それに近い体験がありました。
「命を守る」という意味で、加害者をやっつける前に、被害者を守ることが重要だと考えています。そういう意味で、もしわが子に何かあった場合は、「学校を休ませる~転校する」も選択肢としては優先度が高いです。
世論としては「なぜ被害者が転校しないといけないのか」「学校の責任だ」が一般的と感じます。これに対し、「加害を認めない人間から離れ、新たな環境で人生と学びとを継続すること」が、ある意味で「即効性が高い」と考えています。
もちろん、理想は「加害者が自己の加害性を認め、転校すること」なんですけどね。ただ、それが一番「難易度が高い」というのが私の認識です。
学校における「いじめ問題」は、「トロッコ問題」と化していて、誰がが犠牲にならないと列車が止まらないと言えます。ですから、「対応という臨床的な考察」も重要ですけど、「誰も幸福にならない、もしくは全員が不幸になる、さもなくば悪が正当化される」という俯瞰的事実から個々に考えてみるといいかもね…というところで時間となりました。
若い人たちには、「学校の先生になっていじめのない世の中にしたい」という志望理由を持つ人もいます。しかし、いじめのない世の中にするのは、大人・親・社会がその役割を負うもののはず。それを学校に押し付けた結果、若者に「先生になっていじめのない世の中に~」と言わせているような気がして、何とも思い気分です。
学校の先生は、こどもたちの「知的好奇心を満たすこと」に専念してほしいものです。はい。