55歳で退職したおじさんのブログ

投資・副業・役職経験のない平凡なサラリーマンでした。贅沢しなければ辞めても暮らせる程度に貯まったので早期退職。「健康で文化的なビンボー生活」を楽しみつつ、旅行、沖縄、小説、アーリーリタイア、健康、メンタルヘルス、シニア、ライフスタイル、不動産購入、ブログ、日々の暮らしなど記していきます。

早期退職の不安は経済と存在かも

 

早期退職後の生活の不安とは結局何か?

 私は、55歳で早期退職しました。年金支給の標準年齢である65歳まで10年間、どうやって暮らすかが一つの課題です。

 資金が減り続けることのストレスは結構大きいです。

 もう一つは、世間から取り残された感。世の中の人々が一生懸命働いているのに、私は何をやっているのだろう…という罪悪感・虚無感。特に、新型コロナの感染拡大で、「働き方」が変わりました。たとえば、ネットの活用で情報をリアルタイムで共有しつつ、様々な無駄を省く…というやり方が当たり前になったのです。

 現役時代に進めていたこと、担当していた業務が、コロナによって肯定され、求められ、広がっていく様子を外から見るのは、うれしくもあり、さみしくもありました。

 そんなこんなを整理し、「早期退職の不安」を絞り込んでいくと、「お金と寂しさ」。つまり「経済と存在」に集約されるのではないかという仮説です。

 

お金の不安への対応…

 早期退職4年目に入って、少し不安は和らぎました。

 要因は、「月10万円未満生活の達成(年金・税金込み)」です。

 早期退職を意識した現役時代、年金支給額を「月16万円」と予想し、この金額で生活する練習を始めました。達成まで半年くらいかかりましたが、断捨離やら何やらを覚えたのはこの時。

 しかし、月16万円生活には、年金・税金は含まれていません。そもそも、勤め人であれば、「社会保障費の半額は会社が負担してくれている」わけで、早期退職すると、「社会保障費は全額負担」。このあたりがわかっていなかったですね…。

 で、早期退職して、さらなら断捨離を進め、ミニマリストの領域に近づきました。

 電子家計簿を活用して、リアルタイムで「資産状況・日々の生活費」を管理することで、無駄を省きました。そんな生活を続けていくと、「気が付けば月10万円を下回る」ようになっていました。「目標を定めて努力した」のではなく、「100円単位で支出を削るという意識を習慣化」することで、自然と支出が減っていました。

 そういう意味で、我慢や無理をしたという感覚はないです。むしろ、面白かったという部分もあります。これが、経済の不安を和らげてくれました。

 

存在の不安への対応は…

 なんだかんだで仕事人間でしたから、早期退職には「アイデンティティの崩壊」というリスクが内在します。定年退職した方が、その翌日からも毎日会社に来て応接スペースで新聞を読んでいる…という都市伝説的な姿を若手時代に見たこともあり、自分は大乗なのか…という不安もありました。

 こちらは、「世の中から距離を置く」「人間関係を断捨離する」「他者の評価を気にしない」という心の持ち方で対応中です。

 アイデンティティって、他者評価によって成立する部分があります。これを断捨離する。さらに「俗世間に内在する毒」から距離を置く。これは、TVなし生活やネットの世論から距離を置くことで成立。そして、季節によって変化する美しい自然を見に行く。

 これが、デトックスになりますね。

 ただ、それ以上に、不安・怒りなど「負の感情の起点になる毒」から距離を置くことがポイントで、これが生活習慣として身についてきたのが最近。

 すると、自分は自分でしかないということをやっと受容できるようになりました。

 出家・隠遁は、「徒然草」ではなく、「方丈記」の心境。

 人生「無常」であることの意味が、少しずつ体感としてわかってくるのです。

 

早期退職後の暮らしは…

 ロールモデルは少ないですけど、一応あります。

 ただ、私の場合、ロールモデルに多い「やりたいことがあっての早期退職」ではないです。強いて言えば「早期退職が目的」だったと言えます(いろいろ限界でして…)。

 そういう意味では、やはり「早期退職自分モデル」を模索しながらのここまででした。そして、「月10万円未満生活」が、自分モデルになりそうです。

 経済の不安は、「出費を減らすこと」がポイント。

 存在の不安は、「世の中の動きから距離を置くこと」がポイント。

 「収入を増やすこと・やることを増やすこと」は、私の場合不安の解消にはならないようです。むしろ、「支出を減らすこと・何もしないこと」が落ちつきます。

 

 仕事を辞めたんですから、何もしないことが贅沢。

 モノに依存しない生活が、豊かな暮らし。

 あとは、美しい自然を浴びながら日々を送れればよい。そのための信州移住だったはず。そんな風に心が動いている今日この頃です。