◆昨日は、高校2年生もいました
学習支援で高校の先生のお手伝いをしています。
私は「書かない小論文・志望理由書講座」の担当。
いまさら言えない、いまさら聞けない疑問や質問、あとはセカンドオピニオンの提供。支援ですから、主導はしません。
で、高校2年生から、「受験勉強」についての質問がありました。
そのことで、思い出したことが…
◆受験勉強らしいものはあまり…
本を読むことが好きでしたから、いわゆる「現代文」の勉強をしたことはないです。古文は関西でしばらく暮らし、作品に出てくる場所の土地勘があったり、古文の言葉には関西方言で残っているものも多く、辞書を引く程度だったな…。
たとえば、明石家さんまさんが「うそやー!」とよく言いますが、この「や」は「疑問反語の係助詞のや」と同じ。
現代語訳は「うそだろうか、いや本当にちがいない」ですね。
これに対し「味の宝石箱やー!」の「や」は詠嘆。
漢文も、書き下せば古文ですから、白文に訓点を施す、書き下すための句法の理解があれば、それで答案にできました。
世界史はもともと好きで、世界の歴史の全15巻を通読していました。山川の世界史教科書よりわかりやすくて詳しいです。特にフランス革命と、大航海時代が好きで、何度も読み直していました。大航海時代には日本も登場します。
そんなわけで、特に受験勉強と言ってもそれらしいことはあまりしていなかったのです。で、高校3年生になって「Yゼミナール」の講習に通うと、そこで、「古文文法の体系的な考え方」「漢文作品の文化的背景」を知りました。
世界史は、地理的要因が背景にあることを知って、断片的・羅列的知識がつながり統合されました。
多分、この経験がとても大きかったですね。
◆英語は…
遠藤周作が好きでした。この人の作品は各国語に翻訳されています。新宿の紀伊国屋で「海と毒薬」の英訳を購入して、「ああ、英語ではこういう言い方になるんだ…」と思いながら読んでいました。あとは、窓際のトットちゃんの英訳とかですね。
Yゼミでは、H先生の英語基礎講座を取ったのですが、この先生、「べ平連(ってわかりますかね)」の関係者…というよりも主要メンバーで。
英語の解説はわかりやすかったのですが、時々、政治や平和などについての雑談をされて、その方をよく覚えています。
そんなこんなで、単語を覚えるとかそういうルーティン的な受験勉強をあまりせずに(少しはしました)、最も苦手な英語の点数もあがっていきました。
要するに、本が好きで関西文化を知っていたので、国語はあまり勉強していない。世界史は好き。英語は、日本小説の英語翻訳を読んでいた…という。
◆ルーティン的な受験勉強があわない人もいる
こんな勉強で、「東大」とかに進んでいれば、本でも書けたのですけど…、実態はそうでもないです。そもそも3教科の私大ですし、よくこれで大学受かったなと思います。
ただ、好きなことについて、勝手に勉強していたとは言えるでしょう。この「勝手に勉強する」「自分で勉強を進める」ということが今の世の中・学校では難しくなっている空気があるのかもしれません。ちなみに、私の場合、数学は壊滅的でしたが、その点についてはあまり追及されることもありませんでした。
追及されて、頑張れば別な人生だったかもしれませんが、それが東大だったか、勉強が嫌になるかと問われれば…後者かもしれません。
たぶん、「学習支援の場」としては、「生徒さんが勝手に勉強する、考える、好きなことをやる」という環境を意識しておこうかと考えました。
学習支援も3年以上になりました。
学ぶのはこちらの方で、感謝の日々ですが…、学習支援の場が必要なくなるような学校・教育に早くなってほしいとも思う今日この頃です。