◆バブル組です
架空の人物ですが、半沢直樹と同世代です。
ちなみに、作者の池井戸潤は1つ上の学年になります。
大学時代、サークルやゼミで合宿に行くと、他の大学と一緒の宿だったり練習場だったことあります。
うちの大学は、上下関係はわりとゆるゆるで(それでも、今の時代からすれば…だと思いますが)、他の大学では、「1年生が全員の食事を毎回配膳している」「1年生は一番遅く食べ始めて、1番早く食べ終え、先輩たちのお茶くみに従事する」とか、そういう姿を見て、「うわぁ」と思ったことがあります。
個人単位(あるいは数人単位)では、「目上の人より先に箸をつけない」「食べるスピードをあわせる」などのマナーはある程度意識していましたが、それを集団にすると「こうなるの??」と…。
◆プロ野球OB選手のYouTubeで
若い選手への接し方…が話題になる回があります。
一言で言えば、自分たちが受けてきた教育を、そのまま再現することはできない…ということ。自己の経験は封印し、コーチングでは科学的根拠を持ってが求められます。ジャイアンツからライオンズに移籍し、現在ライオンズの2軍コーチになった内海選手(内海コーチか)は、球団が準備した「コーチング研修」を受けているそうです。 長い時は1日3時間とか…。
で、OB選手の昔話で盛り上がるパターンでは、「理不尽な上下関係」が笑い話的に語られることがあります。同世代なので、結構共感できる部分もあります。ただ、そういう話の最後に、「自分たちの世代は、ある程度『理不尽』なことに慣れてしまって、感覚が麻痺してしまって、それが当たり前という環境の中で育ってしまって、でもそういう中で反復練習をして技術を身につけたり、『自分の頭で考える』ことを逆説的に学んだ部分もあるので、そういうことを若い選手と接するときに…」という文脈で語られることが多いです。
◆理不尽の象徴のように語られるのは広岡達朗さん…
野村さんもそうですけどね…。
ただ、広岡さん(90歳)は、今から50年前に、「今の若い選手は、練習の意味、目的を教えないと練習しない。だから、まず理屈を教えて、納得させて、それからノックの雨で鍛える」ということを言っていました。
この場合の理屈は、動作解析なんですね。身体をこういう風に動かすと、簡単にゴロが取れるようになる、動作が早くなる、送球が正確になる…ということを、見本動作で示すそうです。選手よりうまいとか。また、ゴロを捕球してから「ランニングスロー・ジャンピングスロー」が悪送球になると、「腹筋が足りない」という指摘もします。それがあっているかどうかは私にはわかりませんが、少なくとも「気合と根性」とは異なったアプローチをしています。
YouTubeには、「広岡監督とは何だったのか」というコンテンツが結構あります。管理野球と言う「理不尽の象徴のような存在感」と、「確実に技術が向上する、他のチームより強くなる」という合理技術論との混在なんですね。それが「あれは何だったのか」という強い疑問を選手に残すようです。
◆理不尽なことへの感度を上げないとな…
年を取ったので、被害者としての感度は下げた方が良いと思いますが、無意識に加害者になっていないか…の感度は振り切った方がよいと…ちょっと思うようなことがありました。
理不尽に慣れていると、無意識にそのことを周囲に強いている、他者に強要している可能性が高いわけで…、そうならないように、まずは自分自身の機嫌を取り、前向きな心の状態でいないと…と思います。
そして、早期退職する×組織から離れるということは、「身内のコミュニケーション」が通用しない世界で暮らすということでもあります。
そういう意味では、普遍的なマナー・作法・コミュニケーション能力が必要。で、個人的には、全く自信がありません。
やはり社会の片隅で、ひっそりとと思います。
同時に、「問いの動作解析」のようなものを考えたいと思います。「このような問いをすると、このような答えが返ってくる」という発想・設計は同調圧力になる可能性があります。
むしろ、「こういう問いをすると、頭がこういう風に動くようになる、思考が深まる、気づきが広がる、発想が自由になる」という流れが必要ですね。
これを学習支援やお仕事で活かせれば、そして、私自身の中にある「理不尽に耐える力、理不尽への感性の鈍化」のリハビリになればと思います。
「学び直し」にもいろいろありますが、私の場合は「リハビリ」かもしれません。痛んでいる心・硬直している頭を回復させるですね。大学…一応今年度で卒業なのですが、留年して、もう少し勉強の幅を広げたいな…と思う今日この頃です。